考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

2008/10/07(火)13:42

脳内情報処理

*脳内情報処理*その263*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*イメージ思考でいこう* 脳内では、局所的処理をされた情報は統合されない? 脳の活動と意識を例えるのに、すでに何度かコンピューターをもってきた(当てた)が、意識というのは、モニター画面に当たる。 コンピューターの演算装置や記憶などは、時間的なズレや位置の違いのある情報処理、を行っている。 それらの結果がモニター画面でモニターされる。 さらに、超多並列処理のコンピューターシステムで例えると、もっとよく理解できる。 そういったコンピューターは、その内部で、空間的にも時間的にも、ものすごい分散処理・並列処理(局所的処理)を行っている。 (その処理を統括しているプログラムのもとに、である。脳と意識の器においては、その統括するプログラムというのは、意識の器の規格・性能・性質からでてくるソフトウェアのようなものであるだろうし、それに基づいて脳は設計されつくられているのだろう。その立場が正しいとすると、変換作業は意識の主体内で自動的になされる可能性が高いだろう)。 それら処理された情報は、モニター画面で統合され一体化され、その情報の全体像を表す・現す(実際はモニター画面内で情報が走査放出され映し出されている。つまり、ほんのわずかな時間差のある情報たちを、時間差が見えないようにして見せている)。 コンピューター本体の内部で、それら情報たちを統合し、一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、モニター画面の中でしか一体化・全体化はなされない。 それは、まったくもってほんとに、脳と意識の主体、の関係に似ているといえる。 よって、その例えは的をいているといえる。 そのように似ているから、脳と意識の関係をコンピューターの本体とモニター画面に例えたのであるが、 それとは別に、コンピューターを先にもってきて、脳と意識の関係もそれと同じなのではないか、という主張もありうることである。 そこから人間について考えると、 情報が統合されるのは、意識の主体内で、ということになるだろう。 そして、意識の主体は脳の中には見当たらないということもいえる。 以上は、脳の中で局所的に情報処理された情報は、脳の外にある意識の主体(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)に送り込まれた時点で、統括され一体化された全体像をもつ情報「波動パターン」になる、というイメージを浮かび上がらせる。 つまり、仮に、脳の内部で、局所的処理を行った情報たちを統合・一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、意識の主体の中でしか統合・一体化・全体化はなされない、ということになる。 (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。  宇宙人がでました(?)

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