「行動が人生を動かす [ デーヴィド・K.レイノルズ ]」
著者は文化人類学者。1965年から日本で“森田療法”の研究を行い、その後南カリフォルニア医科大学にて森田療法の講座を指導。
「自分のほんとうの姿」を見ることに主眼を置いた吉本伊信の“内観法”も取り入れ“建設的な生き方”という教育法を創案されたかたです。
いやいや、日本の先生がたの本もいいですが、日本文化の影響が色濃い森田療法だけに、西洋から観た分析はすばらしいの一言です。わかりやすい!
残念なのは翻訳。2人で受け持たれたようなので、読みやすい箇所と、「う~ん」というところが混在しています。
でも、それを差し引いても「今年、この本とめぐり逢えてよかった」と思える内容でした。
必然的に抜き出したい部分も多くなったので、VOL.1・VOL.2に分けました。
自己啓発や心理学の書籍をいくら読んでも、一時だけ気が晴れて、一向に問題解決しないとお嘆きのかた、現在、主流の「気持ちをコントロールする」って考え方、「どうよ?」と疑問をお持ちのかたに参考になればと思います。
自分自身を分析してり、やる気を起こそうとしたり、自信や自尊心を作り出そうとするよりも、なすべきことをただすることのほうが、実際、簡単で実行可能です。自信はやはり感情です。自分のコントロール外で、他の感情と同じように湧いたり消えたりします。
感情は行動の言い訳や説明に使うものではありません。億劫に感じてもいいのです。でも、ベッドから起きる必要があるなら起きます。
実は、自分がすることをなぜするのか誰にもわかりません。ですが、誰もが自分自身の行動を説明できないのに、毎日誰かに説明するふりをしています。
中略
メンタルヘルス関連の専門家は、人がなぜそうするかの理由をあたかも知ってるかのような話術に長けています。
人生における自由とコントロールは自分の行動にしかありません。感情が行動の引き金になるという考えは、「行動を変える前に感情をどうにかして治すか整えるべきだ」という危険な信仰をもたせてしまうことになります。
心理学のこんな迷信を信じていませんか
迷信1「感情が行動を決定する」
迷信2「人生をうまく生きるためには、感情をなんとか調整していかければならない」
迷信3「心の奥には隠された感情がある」
迷信4「隠された感情を探し出して追い出すことは可能であり、必要なことである」
迷信5「『そのことでどう感じますか』という問いかけは、心理療法における基本的な質問であるべきだ」
中略
まるで人生では感情が最重要だから焦点を当てて話題にすべきだ、と言っているようなものです。コントロールできないことに焦点を当てることは、患者の無力感を増大させセラピストに依存させるだけです。
「いつも幸せでいる」とか、「不安なしの生活を送る」という目標を設定しても達成不可能です
人生のゲームに常に勝つには、なすべきことを今、注意深くすることです。この瞬間の勝利は可能です。
始まりは終わりでもあります。何かを始めるには何かが終わらなければなりません。結婚して新しい生活を始めるのは、お互いの独身生活を終えることです。新しい家に転居するのは、前の家での生活を終えることです。どんな出来事でも、一瞬一瞬は新鮮な始まりと最終の終わりをもたらしています。
人生のほとんどは仕事をし、部屋を掃除して、食べ、寝て生きていくのです。それが人生のすべてです。いつも幸せな心であろうとするのは、できない心の操作をして自分自身をごまかすことなのです。
多くの人にとって、主にテレビは価値観や人生目的の源になっています。しかし、テレビが提供する価値観は単純すぎてドラマ化されていますから、視聴者はその場合、自分だったら実際どうすればいいのか混乱します。
いくら生々しく体験を語っても、それは「作り話」になる
中略
簡単に言えば、過去を理解することはできません。なぜなら、私たちは過去をその当時見たようには見れないからです。どんな過去の解釈も新しくつくられたものです。従って、新しい言葉でつくられた過去に関連した感情が新しく起きてくることになります。
未知の世界、コントロールできない世界で、客観的に存在しないとわかっていても、人はコントロールできる確実で安全なものを探し求めます。どのように心が働くのか、なぜ、自分はそうするのか本当に理解する人がこの世にいると信じたいのです。宗教と心理療法は人生の意味を解釈することで、一部の人たちには役に立ちます。しかし、心理療法は科学的な信望と地位を得る基盤がありません。
「私の」とか「私のもの」という概念は所有権ではなく、順序を言っているのだということです。「会場のこの椅子は、今は私のもの」というように。
神経質な人は、自分にとって可能なあらゆる状況、自分の行動による反応、考えられるあらゆるやり方の選択肢について考えるのを好みます。すべて完璧な行動、反応、結果を探し求めます。計画を立てすぎて、タイミングよく行動するチャンスを逃しています。何をなすべきか、言うべきかを考えているうちに状況は変わってしまいます。
<当たり前の法則>
・いつも良い気分の人生は築けない。
・どんな感情があっても行動の責任は取らなくてならない。
・洞察や自己理解は困難から抜け出すことにならない。行動は常に必要。
・人生は必ずしも公平とは限らない。
・人生の問題を簡単に解決する方法はない、魔法は頼りにならない。
・悩みは人生の枠組みの一つ。
・自分に対して自信や良い感情を抱くことは信じていたほど重要ではない。どんな場合でも、行動の結果として自信や好感が生じる。行動の前からあるのではない。
・今、することを変えて新しい過去をつくる。
・ほとんどのメンタルヘルスの専門家は、心と健康のエキスパートではない。
・人はなぜそうするのか、その理由を誰も知らない。
・平和や至福の心が最上なのではない、柔軟で変化する環境に順応する心が最適。
・たくさんの抑圧された感情が潜む無意識などない。気づいていない感情はない。
・神経質は愚行、怠惰、臆病、裕福の取り合わせである。犯罪も同じ。
・恐怖と戦う必要はない、恐れはそのままでよい。
・これらの法則以上のものを提供する人がいたら、読者をだますペテン師。
・時には私もあなたも間違いをする。
・人は誰でも死ぬ。・・・・今が成長のとき。
書物やメモから教訓を集める人たちは、教訓ではなく集める行為が役立つのです
恐れと不安は、注意と用心を促します
恐怖心を減らそうとすると、ますますその心に従うことになり、恐怖心は広がるでしょう。たとえば、高速道路を走るのが恐くて避け、不便な道を行けば、結果として混雑した道路を走ることもだんだん恐くなり、車を運転すること自体が恐くてってきます。
中略
「建設的な生き方」は、行動しやすいように不快なことを少なくする学習ではありません。行動は束の間に不安よりもずっとコントロールできるもの(そして長期的に見て重要なもの)です。
日常生活に有効かどうか考えもしない、自称専門家の人たちが伝えている「真実?」を信じるのはどういうことでしょうか。メンタルヘルスの資格をもつ専門家は、実は専門の養成学校にだまされて、おかしな論説を唱えているのかもしれません。その内容がメディアに取り上げられ、人々に唯一容認できる論説とされています。たとえば、感情は最も重要なものとうたうのは何とバカバカしいことでしょうか。感情は注目に値しますが、人生の中心に置くのは非常に危険です。
正面から計画全体に挑もうとするよりは、その仕事全体の端っこをかじること
神経質の人は実際に行うより、計画を成し遂げるのがいかに難しいかを話します。意義ある行動を始めるより、葛藤や心理的抵抗についての理論を論じます。
人は皆、いつかすべてを失います。
中略
悲しみは自然です。
中略
必要なら泣きながらでも家事をし、支払いをすませ、買物に行き、商品を売ります。
私は病気になると、きちんと身なりを整える気にはなれません。それでも身だしなみに時間を割いて努力すると、感情が影響されてしゃんとします。
現在思い出せる子供時代の記憶は、過去のほんの一部でしかありません。ほとんどの過去の話は、他の人や自分自身に描いてもらいたいと願うイメージに合うようにゆがめられ、単純化されています。人は皆、ゆがんだ過去の話をつくります。
親に対して
自分と同じような良い悪いの混ざった実際の人間が過去にいたのです
鬱状態に対処するためには環境を変えることも役立ちます。
中略
居間の壁のペンキを塗り、家具を移動し、服の修理をし、もっと派手な服を新しく買うよう勧めます。この提案は周囲を変えるだけでなく、目的ある肉体的な活動で鬱状態から脱する助けとなり、新しい刺激になります。
まったく安全で安心な人生にする方法はありません。人生で起こりうることから、悲劇を無視する方法はありません。将来の不安は自然であり役に立つものなのです。
VOL.2はこちら
それでは・・・・。