2007/11/10(土)00:07
旅の終わり、そして帰国。
31回目の誕生日はタイのパタヤで迎えていた。
その誕生日の約2週間前の8月26日。
私は、イエメンのサナアからバーレーンとドバイを経由してタイのバンコクに戻っていた。
6月18日にタイからドバイ経由でオーストリアに入り、ヨーロッパ7ヶ国を旅した後、ドイツのデュッセルドルフからドバイに戻りストップオーバーをしてイラン・シリア・ヨルダン・イエメンと旅をしてきたのである。
その旅を終え、私はタイのアユタヤのゲストハウスでワーホリ(!?)をしながら、1ヶ月ほどゆっくりと過ごしていた。
そのゲストハウス仲間3人と一緒に、アユタヤから車に乗ってパタヤへ行ってきた。
そして、パタヤの中心部からしばらく南に車を走らせ、たまたま通りかかったホテルにチェックインすることになった。
見事なオーシャンビューの部屋
綺麗なプールも併設
そのうちの1人は泊まらずに深夜のフライトで帰国してしまったが、残りの3人で2泊した。
本来は2人部屋なのだが、3人でも泊まれて豪華な朝食ビュッフェ付で3人で1泊1500バーツとかなりお得な料金であった。
何よりも、静かで綺麗な部屋、そしてオーシャンビューという素晴らしいロケーションが我々は気に入ったのだ。
いやあ、これほどリゾートな気分を味わったのはいつ以来であろうか!?
海は、大して綺麗ではないとは知っていたのだが、やはりこのホテルの部屋とオーシャンビューがとても豪華に感じ、久々に贅沢な気分を満喫していた。
パタヤの夜景
ホテル前のビーチにて
夜のビーチはとても幻想的
パタヤはゴーゴーバーやセクシーショーで有名だ
あのホテルに泊まるために、またパタヤへ行きたいと我々の誰もが思った。
ある日は、タイ人仲間7人とピックアップに乗り込みカンボジアとの国境へ行ってきた。
アユタヤから約4時間。
アランヤプラテートというタイ側の国境の町に着いた。
パスポートの無い5人はマーケットで買い物を、我々はタイを出国しに行った。
週末はカジノ目当てのタイ人の出国で大行列
プーさんと私はパスポートを持って国境を越え、カンボジアの町ポイペトに入ることになった。
タイ人は、ビザ無しでポイペトのカジノホテル周辺に行くことが出来るが、私にはカンボジアビザを取って入国する必要があったので、1000バーツを払いビザをもらって1人でカンボジアに入国した。
タイ側から見たカンボジア
カンボジア国内に潜入
タイとは大違いで、道路事情は劣悪だ
小さな子どもたちの姿も目立った
カンボジア出国用事務所にて
20分ほどカンボジア領で写真を撮ったり散歩した。
そして、カンボジアを出国してから再合流して2人でカジノへ向かった。
カジノホテルの前をリヤカーを引いて歩くカンボジア人。彼らは日帰りでタイ側で仕事が出来るのだ
この日は土曜日だったので、バンコクあたりからやってきたタイ人たちでカジノはとても賑わっていた。
1000バーツ札の札束を手に、1回の勝負で数千バーツを当たり前のように賭けているタイ人も多かった。
ルーレットで1000バーツ勝ったところで、我々はタイに再入国してアランヤプラテートに戻った。
これでタイでの滞在期間が延長出来た。
金持ちのタイ人はカジノで大金を賭け、一方で貧しいカンボジア人は、そのカジノホテルの前を僅かなお金を稼ぐために薄汚い服装で歩いているのであった。。
アユタヤに帰ろうか、という時に警察官2人が我々のピックアップを囲っていた。
な、何だ!?
話を聞いてみると、仲間の1人が偽のタバコを買わされたらしく、それを取り締まる為に警察官2人が我々に協力を求めていた。
彼らの捜査に協力すべく、彼らの身を隠しながらピックアップで現場付近に走りつけた。
私たちが散歩から戻ってみると、犯人はピックアップの車内で身柄を確保されていた。
そのまま、私たちと一緒にピックアップに乗って警察署に連行された。
彼女は貧しいカンボジアからやってきたおばさんだった。
貧しい生活を支えるためにやっていることではあるが、運悪く見つかってしまって犯罪は犯罪。
彼女にとってはとても高額な罰金が科せられるという。。
10月1日
私は日本へ帰国するはずだった。
21200バーツで買った、ベトナム航空のバンコク-成田(ホーチミン経由)1年オープンの航空券を使って4時間後にもタイを去るはずだった。
しかし、前夜天気予報を見たら、ベトナムに超大型の台風が接近していた。。
先日の、タイの格安航空会社『ワンツーゴー』の旅客機墜落事故の件もあり、念には念のため搭乗予定当日にも関わらず、ベトナム航空に電話をして変更を願い出た。
荷造りも終え、出発の4時間ほど前ではあったが、問題なく変更が出来た。
そして10月3日。
2日間の猶予が余計に重くのしかかり、ちょっと複雑な心境のままタイを去ることになった。
タイを去るということは、この旅の終わりを意味した。
ベトナム航空
ホーチミンの空港にて
所々、工事中だった
去年の6月以来、3度目のホーチミン空港でしたが着いてみるとビックリ、ターミナルは新しく綺麗になっていた。
成田行きのフライトまでは9時間も待たなくてはならなかった。
ちなみに、成田-バンコクの場合は同日の乗り継ぎが不可能なので、ホーチミンで1泊しなければならない。
でも、宿泊するホテルはベトナム航空が用意してくれるというので、これは面白そうだ。
相変わらず、ショッピングとレストラン以外何も無いのだが、ピカピカの新しいターミナルはかなり快適な空間だったので有り難かった。
バンコクやカンボジアのアンコールワットがあるシェムリアップからの乗り継ぎ客も多いせいか、日本人のツアー客も大勢いた。
最新型のモニター。もちろん韓国製だ(サムスン)
新しくて綺麗な、そして無人のゲートの椅子の上で昼寝
長時間の乗り継ぎ客用の夕食クーポンをもらった
3階のレストランには、シンガポールと日本食の高級そうな2店舗があり、そこで無料で食事が出来ると思っていた。
ホーチミンに着いて5、6時間が経った頃、満を持してレストランに向かったら、そこでは使えないと言われてしまった。
そして、端っこにある名も無き庶民向けベトナム料理屋でチャーハンとヨーグルトをもらった。
この旅『最後の晩餐』
ミネラルウォーターでさえ$2もするこの空港では1銭たりとも使わなかった。
そして、この旅で14度目のフライトは夜中の0時前にようやく日本へと飛び立っていった。
乗客はほとんど日本人だった
ベトナム航空はなかなか悪くはなかった。
成田行きの機材のシートは、珍しくというか初めて、2-5-2という座席の配列であった。
翌朝、太平洋を眼下に眺めながら、我が日本列島へ上陸するシーンでは何とも言えない思いがあった。
4ヶ月と1週間ぶりに我が日本に凱旋だ。
イエメンのサナアに上陸した時ほどの興奮ではなかったが、我が故郷・日本もなかなか素晴らしいじゃないか。
そう思いながら帰国の途についた。
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