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行きの成田エクスプレスの中で、50代くらいのオランダ人男性と隣の席になった。なんとなく話しかけてみたら、彼は
「日本のお寺で、禅やメディテーションの修業をしてきました。もう帰るけれど、日本の文化に興味があるので、また来るでしょう。」 と言った。 外国人が日本の文化に興味があり、日本にやってきて日本のメディテーションを学ぶ。そして日本人の私は、禅がなんだかよくわからないままに、ア-ユルヴェーダを受けに行く。なんとも皮肉なことだけれど、人間とは、異なるものに興味をそそられる生き物。それがすごくおもしろかった。 スリランカの人が、全員アーユルヴェーディックな暮らしをしているわけではない。ホテルで働いている人たちも、実はトリートメントなんて受けたことないし、アーユルヴェーダな薬も常飲してるわけでもない。彼らが知らないということは、外の人はもっと期待できない。 一番ウケたのは、この道ウン十年の私の担当マッサージセラピストに、 「ねえ、あなたのドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)はなに?」 と聞いたら、 「知らない。別に知らなくてもいい(興味ない)。」 と笑ってたこと。うそー?ホントにいいいー!と言いたくなった。だったら、遠路はるばる自分のドーシャを調べに来るなんて、おかしいわよね。 この分だと、たぶん多くの人が自分の体質なんか、考えたこともないと思われる(これは全員に聞いたわけではないので、あくまで推測)。そんなことより、働いて、お金作って、食べて、子供の世話したりと、毎日の生活で忙しそう。 私たちがみんな禅について理解してないのと同じように、スリランカの人にもアーユルヴェーダが超密着してるわけではないということが、ひとつ理解できた。 お金があって、いろんなものを持っているのに、こんなところまで飛行機に乗って来て癒さたいと思う、私たちや多くのドイツ人(ここのリゾートはドイツ人が多い)たち・・・皮肉な現実だ。でも一方では、そのお金はここの経済をうるおしている。 うそみたいに星占いを信じているし(ただし若者はそうでもない)、結婚する時にお互いのホロスコープをチェックするのも本当だった。・・信じられない。 結婚したら、相手の夫の家族と共に住み(都市部の人はともかくとして)、子供が2-3人いて、大家族。たぶん普通の人は一生海外に行くこともないし、他の土地に移ることもないと思う。毎日がこの上なくシンプル。 満月の日には、お寺に行ってお供え物(フルーツや花)をし、祈りを捧げている。初めお寺に行ったとき、みんなが本気で祈っているのを見て、本当にびっくりした。日本人でここまで真剣な人を見たことがない・・。 時々スリランカの人に、 「あなたはブッディストですか?」 と聞かれたので、ここでは、 「はい、ブッディストです!」 と胸をはって答えておいた。たぶんブッダを信じていないといったら、精神を疑われる。 ここの暮らしはなにもなくてシンプルだけど、人間の本当の暮らしがあるような気がした。 いたずらにモノやお金がある自分の暮らしは、忙しすぎて余裕がない。スリランカの人の暮らしは、人間が本来持ってる暮らし方のような気がする。家族や親戚どうし助け合って生きている。 日本の明治とか、大正?昭和初期?みたいな生活・・・いまだにこんな国があるなんて、本当に信じられなかった。 今世日本に生まれてしまって、世界にはいろんなことがあるんだと知ってしまい、お金を持ち、自由な暮らしをしている今、スリランカの人みたいな暮らしはとうていできないと思う。 自分の自由をありがたくも思い、少し彼らをうらやましくも思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年12月04日 11時13分45秒
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