危機
ご無沙汰してます。こんだけ日記を放置したんは初めてちゃうやろか。年度末ってことで仕事が忙しいのと合わせて外出ばっかでほとんど会社に出てなかったのもあってほったらかしでした。稼働も2ヶ月近く無しで新台もまったくわかりません。まあ毎年2,3月はほとんど稼働ないのが恒例やけど。4月になれば日記も通常営業に戻ると思います。Yも会社を辞めて社長してます。辞めてしばらくはのんびりしようと思ってたみたいやけど予想以上に仕事が入ってきて俺よりも忙しい状態です。その事は後日改めて書くとして。東北地方太平洋沖地震被災者の方へお見舞い申し上げます。そして亡くなられた方のご冥福をお祈りします。TVで連日放送される情報に唯々これ以上被害が拡大すんなと祈るばかりです。発生時からすでに10日以上過ぎた今もまだまだ余談を許さない状況です。地震発生時、仕事で就職活動での会社説明会でよくある会社の先輩の一言というので頼まれてたのを終えてから職場に戻る途中にちょっと梅田のヨドバシカメラに寄って行こうと思ってヨドバシの3Fに居た時に地震が起こった。体感では震度4以上は絶対ある感じがしてヨドバシに居た客はみんなこぞって建物の外に出て携帯を弄りだした。すぐにYに電話をかけたらYはちょっと立ちくらみがした程度で地震と思ってなかった。同じ大阪市内でもかなり違うな。携帯の情報では大阪は震度3。ビルの中やったから揺れが大きく感じたっぽい。その後TVで次々状況が明らかになってきた。阪神淡路大震災の被災者としては当時の状況が真っ先に思い出される。今回はそれに津波、原発の事もあって単純比較出来るものではないけど。あの事があってから地震にはかなり過剰に反応するようになった。阪神淡路の時、高2で実家に住んでたけど家は神戸の方で(厳密には神戸やないけど)家は半壊しまして数日避難所暮らししてました。家の状況やらガス漏れやらのチェックが終わってから家も暮らせないほどではないってことで戻れたんやけど電気は通ってたもののガスと水道は不通。一ヶ月近くの公園にポリタンクを持って水をもらいに行ったりカセットコンロがあったのでそれでお湯を沸かしたりと。風呂も入ってなかったし家の修理が完了したのは数ヶ月後やった。それでももっと大変な人もおったし全然ましな方やった。うちはまだ動ける方やったんで手助けに行ったりしてたな。その時に義援金や救援物資の施しを受けて助けられた身ということもあって恩返しじゃないけど少額ながら募金を何箇所かでしてきました。避難所生活は精神面と肉体面の両面からやられていくけど根性論やないけど心の持ちようがかなり影響あると思うんでなんとか気持ちは前向きにいってほしいです。よく「危機的状況」と言われてるけど「危機」という言葉はピンチという感じでマイナスイメージにとられる。いや、日本においてはそれで間違ってはない。しかしながら西洋哲学的な解釈をすると「危機」の「危」は文字通り「危険」=ピンチを意味するが、「機」は「機会」、つまりチャンスと捉えられておりピンチとチャンスが並立して共存する状況を意味する。決して悪い意味というわけではない。一際自然災害の多い日本はその「危機」をもって成長してきた国でもある。それは日本固有の忍耐をもってして成しえたことかもしれない。自分が技術屋なんで技術的なことにも意識が行くんやけど一応会社では建築屋の研究部門で主に地震工学および耐風工学における振動関係について研究してる身なんでより身近に感じるところもある。阪神淡路の震災以降、耐震(免震)技術は飛躍的に向上している。実際、地震での被害はマグニチュードの数値ほど酷くなかったように見える。ただ正直津波があんな凄いもんやとは予想外やった。そして原発問題も。それらの危機をもってより被害を抑えられるような技術を産み出せたらと技術屋の端くれとして思います。また、その他の問題(政府の対応、電力供給、買い占め等)もあり混沌とした状況が続いてるけどとにかく一人でも多くの人が生き長らえてこの危機を乗り越えて欲しいです。また心から笑える日が来るのを切に願わずにはいられません。※先週サンドウィッチマンのオールナイトニッポンの震災復興特番聞いたけどドリカムの『何度でも』がなんか良かったな子供にはアンパンマンの歌とかいいみたいやね俺も被災したときはラジオで歌聞いたなサンドのコント好きでよく見てるけど深夜ラジオとガススタのネタが好きやな