2回目のターニングポイント
3月3日(火) PM2:00課長「M、ちょっといいか?」M「はい。」課長から呼び出された。なんやろ?応接室に入る。課長「いよいよ年貢の納め時だわ。」M「?なんすか??」課長「Mは月末の辞令で4月から大阪になったから。」M「え!?」ということで次の4月から大阪に転勤になりました。まあ転勤というか帰還というか(笑でもびっくりした。一応大阪に帰るって話は2年前頃から上がってたらしいが課長がもうちょっとと言って引き延ばしていた。仕事の都合上、来年度一杯で今やってる研究がキリがようなるんであるとしたら来年度末かと思ってた。東京に来たきっかけは、東京であるプロジェクトが発足してそのプロジェクトメンバーの一員として引き抜かれたため。大阪で働いてたときの課長からは「2年間」と言われての転勤やった。2年経って一応そのプロジェクトは一段落したんやけどその後もその研究は続けられていてたわけで。まあそれが延ばしのばしで6年になったんやけど会社としてはそんなんはようある話。でもさすがに大阪の部署がそろそろ返せってことで2年前から言っててもう課長の引き延ばし作戦は無理やったようで(笑でもこういう辞令を伝えられるときの雰囲気って独特のもんがあるなw応接室に呼ばれたときに正直「きたか?」って感じはあったが(笑当然関西にはYもおるし帰りたい気は満々やったんやけど仕事的には中途半端な状態で引き継ぎせなあかんくて自分でやりきれんかったのが非常に残念です。まあそんなこんなで6年間東京で働いたわけやけどやっぱり関西のほうが好きなんは好きやけど社会人として、日本の中心である東京で働くってのはええ経験になったと思うわwまた、数多くの関東圏の楽天メンバーの人達と会えて仲良うなれたしw別れはさみしいもんがあるんやけど、まだ後一ヵ月は関東におるんでお別れの挨拶は後日にしますが(笑可能な限り飲みにいきまくったろかと思ってます(笑会社のメンバーとはフィリピーナをはじめ、外人系の店の行き収めの誘いがきてることやし(爆それでも3月は前半は報告書漬け、後半は書類の整理&業務の引き継ぎ、および引っ越しとなんやかんやでドタバタしとることやろうけど。なんか俺の人生って休まるときがないな(汗そして当然真っ先にYに連絡したわけですよw仕事中やから一応メールで。するとすぐ電話がかかってきましてY「まじかいな。えらい急やな。」M「俺もびっくりしたわw」Y「帰ってくるん早いわ。帰ってこんでええって~」(爆M「なんでやねん(;´Д`)ノ」Y「まだ十分に遊びきってないからもうちょいまってくれや。」(爆M「(;´Д`)ノ」M「もうそろそろ年貢の納め時やなw(結婚のこと)」Y「やだ~もっと遊ぶ~(;´Д`)ノ」こういうときでもやっぱり喜んでくれへんのやね(汗まあ言葉に出して言うことは絶対ないと思ってたけど。でも電話先でのテンションは高かったんでそれでよしとした(笑今回の辞令は社会人として2回目のターニングポイント。一応過去の日記で、東京に転勤になったときの日記を書いたことある。↓↓↓讃岐うどんツアー 序章~上京物語~ 参照余談やけどこれ見て思い出したんやけどうどんツアー日記完結してなかったな(汗時間あるときにでも書こう(・∀・;)(つ´▽`)つソレハオイトイテYと離れるってのが悲しかったのと同時に東京で働くという新しい生活が待っていた1回目のターニングポイント。大阪で転勤の辞令を受けて早6年。長いようで早かった。そしていろんなことで忙しかった。社会人的にもそれ以外のことでも東京で学んだこともようけあった。6年前とは違って成長した自信も自分的には十分にある。堂々の凱旋帰国、と言ったら大袈裟やけどそんな感じです(笑とりあえず、大阪帰ったら前住んでた社宅に移る予定。社宅は古いけど家賃9Kで安いしwそれやしどうせYのとこにずっとおるやろうし。家探す時間もないしとりあえず荷物もあるんでまず社宅に入ってそのうち同棲することになるかと思います。大阪で同棲して、東京で遠距離になって、Yが仕事やめて一時的に東京で同棲して再びまた大阪で同棲。なんか時の流れを感じるとともに2人ともなんも変わらんのも感じわ(笑そんなこんなで同棲しだしたらこの日記も今後どうなるかわからんけど・・・いよいよこれで遠距離も終止符・・・ってならんこともなくもないような気もするが(爆関東でいろんな出会いがありました。楽しい思い出もようけできましたwそれでも別れはやっぱさみしいもんです。その一方で大阪でもまたいろんなことがあるやろう。Yとも一緒におれるしなwもともと仕事で忙しい予定やったはずの3月。降ってわいた転勤話でさらに忙しくなった。それでも忙しい中、最後の1ヵ月、関東を満喫できればと思っております。俺の東京生活終了までのカウントダウンが始まった。