テーマ:英語・英会話のヒミツ(80)
カテゴリ:英語学習のヒント
本日は閑話休題的にしばし「自分語り」をば。
最近、私はポルトガル語をちゃんと練習しようと改めて思い立った。ブラジル音楽をやっているので、歌う歌詞はみんなポルトガル語である。自分が歌う歌なら内容もある程度分からないわけではないが、それは直接会話に結びつかない。ちゃんとポルトガル語で会話ができるようになりたいと思ったのである。 それともうひとつ動機がある。 かつて全く「話せない」状態から、まあまあ英語はなんとかなるようにした経験があるとはいえ、今となってしまうと最初の頃の「感覚」は忘れている。自慢するわけではないが、英語についてなら今となってはある程度楽に分かるので、「分からない」という感覚に疎くなっているのだ。 だが日本人講師として英語を教える立場の「強み」は、学習途上の生徒さん達の気持ちや感覚が分かる、という点である。ネイティブの教師にはわかりにくいところだ。逆のことを考えてみたらいい。日本語を外国人に教えるのはちょっと考えれば簡単そうだが、もっと具体的に考えていくと、実はとんでもなく難しいと想像できる。日頃無意識に使っている言葉だから、「どうしてそうなるの?」と言われても困る。 私は」と「私が」の使い分けを、どうやって外国人に教えるか? 「あ~疲れた!」とは言うけれど「あ~疲れている!」とは普通言わないのはなぜ? 否定の意味で「きれいじゃない(not beautiful)」とは言うけど「汚いじゃない(not dirty)」とは言わないのはなぜ? でもたとえば怒ったときなどに「汚いじゃないの!」とは言うのはなぜ? 日本人がbyとuntilの違いに苦労するように、外国人は「~までに」と「~まで」の違いに苦労する。「行く」「行けば」「行こう」「行かない」「行きたい」などの動詞活用は、三人称単数にsがつくとかつかないとか、不規則動詞の過去形とかより遙かにややこしい! 素人の日本人が「これはこうなるんですよ」とちょこっと教えたぐらいで相手の外国人が日本語に精通するようになれるとはとても思えない。やっぱりシステマティックな「日本語教授法」が必要になってくる。 だから、英語を外国語として教わったことのある日本人はその点で教師として有利だ。「教授法」がある程度は分かっているわけだから(もちろん、発音やイントネーション、微妙な語法や、生き物のように変化する口語については当然ネイティブでなければ分からない部分がある)。 そういうわけで、これまでにも書いてきたが、留学経験もなく帰国子女でもない私は、かなりのコンプレックスは抱えながらも、「苦労して習得した」経験を武器に教師をしているわけだが、言ってみればその「武器」がだんだん鈍ってきているのを感じている。まさか、もはやネイティブなみの感覚になったなどとうそぶくことは無理だが、「分からない」感覚を実感として捉えにくくなっている。 だから「外国語が分からない」感覚と、それが「段々分かってくる感覚」というのを再び感じよう、というのも、今更ポルトガル語をやってみようかという動機の一つである。 そしてそれにあたって、自分が常々言っていることをちゃんと実践して、その有効性を証明したいという気もある。つまり、「音読」と「暗記」である。また、「見ないで聞く」ことの有効性とか、これまでにも書いてきたように、どのようにしてゲーム性(?)を持たせたり、学習自体を楽しいと感じてモチベーションを維持するかという点についても改めて考えている。 残念ながらポルトガル語のスクールはそれほど身近に手頃な形で見つからないので、とりあえず自習(セルフスタディ)を考えた。本屋に行って参考書をいろいろ検討してみる。いろいろなものがあるが(とはいえ量にして英語関連のものの100分の1,いや1000分の1ぐらい、いやもっと少ないかも…(T.T))結局、ものすごくシンプルな、会話例を中心にして、文法事項を解説してあるものにした。NHKのテキストである。残念ながら、NHKは7カ国語もやっているのにポルトガル語だけはレギュラーではない。買ったものは、1992年に短期講座としてラジオ放送したものを1冊にまとめたテキストである。もちろんCDはついている(必須!)。CDには、各ユニットの会話部分のみが収録されている。これをパソコンでMP3化してポータブルプレーヤーに取り込み、毎日歩きながら聞くことにした。 試行錯誤しつつ、いくつか実践のポイントをつかんだ。 それについては次回(きょうは前振りだけかい!) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 5, 2007 01:53:42 PM
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