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カテゴリ:神社-仏閣
赤レンガ倉庫を改装した、とっても素敵なホテル「ラ·ビスタ函館」に宿泊した、その次の日。
(ここ、とっても良かったですよ〜) ![]() (ホテルのロビーにて) 道南2日目は「どうなんの?」(笑) (しょーもないオババギャグにお付き合い、、誠にありがとうございます〜)(笑) 以下、ギャグはありません(笑) ここで笑っといてください(笑) 2日目は神社巡りです。 …………………………………………………… 【函館護国神社】 近づくにつれて、胸が苦しくなってきます。 すぐ裏の函館山のてっぺんには、これでもかこれでもか、っていうくらいの鉄塔がビッシリ❣ それを見た瞬間も胸がぎゅっ〜っと詰まって、苦しくなってきたんだけど、 Yちゃんは、昨夜、ホテルのお部屋からも感じていたそう。 その息苦しさに加えて、鳥居をくぐったその時、 「うわ!これヤバいやつ」 ときました。 胸が苦しくて苦しくて。 とりあえずご本殿にて挨拶。 ニ礼ニ拍手。 参拝を終えるや否や、 ぎゅっと右側に引っ張られます。 「なんかある」 足が勝手に動く、、、 どんどん進んで行ったその先、目の前に現れたのは、、、 たくさんののお墓。 「苦しい」 「悲しい」「辛い」… かなり重い。 なんとそこは函館戦争で亡くなった英霊達の墓地。 それから太平洋戦争時撃沈した、駆逐艦・橘の乗組員の鎮魂の碑。 墓碑、慰霊碑が、ずらりと並んでいます。 (函館戦争より太平洋戦争に至る函館市、渡島総合振興局、桧山振興局、後志総合振興局管内の戦没者1万3千余柱をお祀りしています。) 〜バンフレットより〜 1万3千余柱〜〜😭 重いはずや〜! じっくりと感じていくと… 自分たちは国を護るために戦ったのだけど、今の日本人のほとんどは「本当のこと」を知らず、 この戦争は日本が起こしたことで、日本を悪く思っている人や、罪悪感を持っている人が多いということ。 果ては忘れ去られていること。 そのような事に対しての悔しさ、悲しさ、無念の思い… 「わかってほしい」 「我々は命がけで日本を護ったのだ」 ・ ・ ・ ・ ・ そのような感情がどっと流れてきました。 泣きそうになりながら… 半ば吐きそうになりながら…… もう、とりあえず必死で浄化。 お墓の端から端、隅から隅まで。 何度も何度も祈り、感謝とお詫びをお伝えしました。 たくさんの魂が上がっていきました〜。 ほっとしました。 (写真を撮ることは、とてもできませんでした。) さて、あまりにも夢中で一人で浄化していて、氣がつくとYちゃんもRちゃんもいません。 (入って来れなかったのかもしれません。) 肩で大きく息しながら、本殿に戻ると、二人は宮司様とお話をしていました。 そしてよくよくお聞きしますと… なんと、なんと、今日はその「英霊達の命日」だったのです! もう、これにはビックリして鳥肌が立ちました! 駆逐艦・橘がそ目の前の湾で沈んだ、その日だったのです。 Yちゃんは 『「君が代」の舞を奉納しなさい』 とずっと上からメッセージが来るので、宮司さんにお願いに行っていたのです。 ああ〜 だからか〜 もう本当にビックリ! そしてYちゃんは、厳かにクリスタルボウルを奏で、それは優雅に‥「君が代」を舞いました。 それはまるで天女のように、英霊達の魂を慰め、癒やし、その場に愛と光を注いで行きました。 ![]() たくさんの魂から喜びの思いが湧き上がるようでした。 そして「ありがとう」「ありがとう」と聞こえました。 ここでも「浄化」のあとに「愛と光」を注ぐこととなりました。 このあと、宮司さんからとあるご提案があり、Yちゃんには超ミラクルなご縁に繋がっていくのでした〜😍 そのお話は、またお知らせできます時にね〜 うふふ‥楽しみ❤ ……………………………………………………… 【函館八幡宮】 ![]() こちらは先程とは打って変わって、スッキリ清々しいエネルギーです。 多くの参拝者が来られているようですし、境内もキレイに掃き清められ、明るい。 ◆御祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと) ◆配祀 住吉大神 金刀比羅大神 雷調べ(笑)によりますと、ホンダワケノミコトはニギハヤヒ。 住吉大神はセオリツヒメ 金刀比羅大神はニギハヤヒ と感じています。 本当の神様は隠されています。 ですが、多くのスピリチュアルリーダーさん達の活躍により、もうそろそろ出て来ていらっしゃいます〜。 そう、皆さん、既存の書物に書いてあることだけが正しいと思わない方がいいですよ。 ほとんどの歴史書は、勝者が自分の都合の良いことしか書き残していませんからね〜。 (このブログの読者さんはお分かりかと思います〜😊) 参拝して後、本殿から下の方、うっそうとしたその森のその奥に、、、 「悲しい」「辛い」と訴えるエネルギーを感じました。 池があり、そのもっと奥、木々をかき分け上がったところに、、、 ありました。 古い磐座。 ほとんど放ったらかしのようでした。 見えにくいですが「大山祇大神」と書いてありました。 直感で、アラハバキだと思いました。 ご由緒に「寛政十一年、幕府は東蝦夷に直轄した。」 とあります。 当時、東北地方一帯を拠点としていた蝦夷と呼ばれた縄文の民は、リーダー阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)が騙し討たれ、 (ここは悲しい歴史物語があります。) その落人は東北から北へ北へ逃げてアイヌ民族となりましたが、その土地すらも その後幕府の管轄とされたのです。 その思い。 無念。悲しみ。苦しみ。 それらを浄化しました。 浄化後、森は一氣にクリアに〜 ああ〜、やれやれですヮ(笑) ![]() (立待岬) さぁーて、午後の部は「乙女のお楽しみ」だぁーい❣ ヒャッホ〜😃 ワクワクッと続きまーす❤ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.07.30 09:40:01
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