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カテゴリ:心理的スピリチュアル
「愛」について、これまで何度となく書いてきました。 実は、「愛」がわかっているようでわからない人も多いのです。 幼い頃、本当の「愛」をもらえなかった人は、「愛」がわからないのです。 その親もまた。 わからないから、与えられなかった。 そのようにして、「愛ではない別のもの」を愛だと思って、子どもに渡してしまうのです。 その「別のもの」は多岐にわたります。 指示、命令、コントロール、 価値観の押し付け、過保護、過干渉、 しつけ、虐待、、、 程度の差こそあれ、 子どもの「自由意思」を奪う行為は愛ではありません。 では、「愛」とはなんでしょう? その基本は相手の自由意思を尊重すること。 心(思い)を認めること。 愛とは心を、受け止めること。 愛=心+受 このこともずっと前からお伝えしてきましたね。 では具体的に 心を認めるとはどういったことでしょうか。 相手の言う事を何でもハイハイと「受け入れて」聞くこととは違います。 「受け入れる」のではなく、 「受け止める」だけです。 (◆ここ重要です❗) たとえどんな意見であっても、 まずは「ああ、そうなんですね」 と受け止めましょう。 認めましょう。 その後、自分の意見を伝えるのです。 (自分軸を大切にする) その「自分軸」(自分の意見) は決して押し付けてはいけません。 ただ伝えるだけ。 情報として。 「こんな考えもありますよ」 「あなたとは違いますよ」 という感じで。 そこで、相手の価値観があまりにも違ったら、 一緒にいることが苦痛になります。 我慢して一緒にいることは 「自己犠牲」です。 これは愛ではありません。 ここを間違っている方がとても多いです。 この「自己犠牲」が好きな人も多いです。 「相手の役に立っている」 それが嬉しい。 ここよ❗落とし穴(笑) 相手の役に立つことは とても良い心。 でもそこにご自身の「喜び」があるかどうかです。 初めは少し自己犠牲しても、相手が喜んでくれたら確かに嬉しかったでしょう。 でも段々とその関係性が当たり前のようになり、「我慢」しなくてはならなくなった時。 「ああ、この関係性は対等ではなかった。」 と、氣づく時が来ます。 本来私たちは対等なんです。 (例え親子、夫婦であっても魂は対等であり、そこに尊敬の念を持つことが大切です。) 対等でない関係性は、いずれ歪みが出てくると思います。 依存、執着、主従、と言った別の関係になってしまっていないでしょうか? 「自己犠牲」は「愛」ではない。 このことは、今、何かもの凄く大切なように感じ、 何度も言葉を変えてお伝えしています。 必要な方に届きますように。 *〜関連記事〜* ・「愛と真実」(2023/12/19) ・「認めることは愛・1〜2」(2023/10/19〜21) ・「自分の喜びが一番」(2023/3/10)
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Last updated
2024.07.24 21:25:24
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