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2018.03.19
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カテゴリ:徒然草を読もう
第二十五段
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李(とうり)ものと言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿・法成寺(ほうじょうじ)など見るこそ、志留まり事変じにけるさまは、あはれなれ。御堂殿の作りみがかせ給ひて、庄園(しょうえん)おほく寄せられ、我が御族(おおんぞく)のみ、御門(みかど)の御後見(おんうしろみ)、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門(だいもん)・金堂(こんどう)など、近くまで有りしかど、正和の比(ころ)、南門は焼けぬ、金堂はその後倒れ伏したるままにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(むりょうじゅいん)ばかりぞ、そのかたとて残りたる。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成大納言(こうぜいのだいなごん)の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。是も又、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎(いしずえ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。さびしき気色、さる事侍りけん。

現代風訳
 飛鳥川の淵や瀬は絶えず地形が変わっていたという。そのように常ならぬ世の中、時移り事は去り、楽しみ・悲しみ行き交って、はなやかであった辺りも人の住まぬ野原となり、家だけは変わらなくても住んでいる人はあらたまっている。桃や李はものを言わないので昔を共に語らうわけにはいかない。誰とともにの昔を語ればいいのか。まして、大昔の尊い身分の方の住居跡などは、たいそうはかなく感じられる。
 藤原道長邸宅や法成寺を見ると、建てた人の志はあっても、建物の様子は変わってしまっているのは、残念。御堂殿(道長)が、立派に造営し、荘園を多く寄進、(藤原氏)一族のみが帝の後見役となり天下の鎮め役として行く末までも栄華が続くと思われていた時、どんな世になってもここまで荒廃すると思われただろうか。大門・金堂などは最近まで残っていたが、正和のころ、南門は焼けてしまった。金堂はその後倒れ伏したままで、再建する手だても無い。無量寿院だけが残っている。丈六の仏九体、たいそう尊く並んでいらっしゃる。三蹟の一人藤原行成の書いた額の文字、やはり能書家の源兼行の書いた扉の文字、あざやかに見えるのは趣深い。法華堂なども、いまだ健在である。しかしこれもまた、いつまで残っていることか。この程度の名残さえ無い所々は、たまたま礎だけが残った所もあるが、はっきり知っている人も無い。
 なので、万事において、自分が死んだ後のどうなるかわからない世のことまでも心配して準備しておくのは、まったく、はかないことである。





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最終更新日  2018.03.26 08:19:48
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