テーマ:今日の出来事(292665)
カテゴリ:旅
従兄が脳梗塞で倒れた。幸い、命に別状はないようだが、目の神経が詰まってしまったとか。病状が心配である。毎年この時期に、地元のみかんを送ってくれる(昨日の日記にも触れた)。お礼の電話をしても昨日はずーっと話し中でおかしいとは思っていたのだが、今朝改めて電話したら、そういうことだったのだ。
わたしには、父方母方合わせて40人近いいとこがいる。彼は母方の30名近いいとこたちを束ねる長老で、体つきも実際の存在感もたっぷり。すでに70才を超し、若い方から3番目のわたしとは親子以上に年が離れているが、小さい頃からとても可愛がってもらった。 来年早々にも、長野に来てくれることになっていた。韓国旅行の相談に、である。 わたしの母は、現韓国生まれ。母たち9人のきょうだいすべてと、終戦前に生まれたいとこたちは、彼の地で誕生し、引き揚げるまでは、たいそう裕福にくらしていた。 母の祖父(わたしの曾祖父)は、結婚式の日、「こんな田舎で埋もれるのはいやじゃ!」と紋付き袴の支度のまま故郷を逃げ出して、韓国へ渡ったそうである。苦労の末、貿易会社を興した。商売が軌道に乗ったころ、一人娘(祖母)に、婿養子(祖父)を迎える。 豪放磊落、大胆な曾祖父と、緻密で堅実な祖父の二代の歯車が見事にかみ合って、商売はそれはそれは繁盛した。立ち並ぶ倉庫。何艘もの貿易船、何百人もの従業員。買付資金などを運ぶためだけに、当時まだ珍しかったシボレーを所有していた…とか、庭で乗馬用の馬を飼っていたとか、学校にさえなかったピアノが居間にあったとか、亡母から聞いた話は、まさに夢物語の数々であった。 その詳細を、頭脳明晰な長老いとこが数年前本にした。さまざまな資料や人に当たり、記憶の糸をたぐって正確を期したという、貴重な記録である。わたしも改めて文字と写真で先祖の顔や歴史を見て、感慨深いものがあった。 さて、母達が暮らした韓国の家が、今も旅館に形を変えて残っているらしいと、結婚したばかりのころわかって、すぐ訪れた。しばらくたって、わたしの両親も、どうしても一目みたいと、韓国語を一生懸命勉強してでかけた。亡母には、思い出の家のあまりの変わり様に胸が痛みながらも、そこここにかすかに残る往時のおもかげが、愛おしくもある旅行だったらしい。 だが、観光地でもなく、日本人など普通はいかない港町。行ってみたくても行けない親族たちも多い。長老いとこには、自分が元気なうちに、ぜひ彼の地で親族会を開きたいというのが、たっての望みであった。前前から、韓国通の我が夫に「ぜひ企画してくれ」と頼んでいたが、夫も個人で事業を切り盛りしている身の上でもあり、なかなか実現しなかった。自分一人での韓国行きなら、突然の仕事が入ればキャンセルできるが、親族数十名を連れての旅となればそうもいくまい。 でも、それがついに来年初夏頃実現しそうな運びになった。親戚たちもこのままだとどんどん年を取る。もう今しかチャンスはないだろう…と夫も重い腰を上げてくれることになったのだ。 その旅行の相談に、長老いとこが、年明け早々、長野に来る予定になっていたのである。わが家には受験佳境の娘がいるが、それを押してもぜひと、なみなみならぬいとこの熱意を感じてのことである。 なんとか、短期間での快癒を祈りたい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅] カテゴリの最新記事
|
|