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前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

5年先を見据えて原点に戻れ

「5年先を見据えて原点に戻れ」 (2005.5.22)


 誰が優勝するかドキドキしながら見たいのに、やる前からわかっている。どうせまた朝青龍に決まってるじゃん、あぁつまらんつまらん!と言いながら、それでもやっぱり相撲が好きな私は、中継を見てしまうのである。

 朝青龍の優勝は、14日目に決まった。千秋楽を待たずに決まったのは、これで何度目だろうか。他の力士がいかに情けないかの証明でもある。外国人力士の優勝回数としては曙を抜き、武蔵丸に並んだ。ほぅ…。もうそんなに優勝したのか、と思ったが、当たり前といえば当たり前だ。朝青龍の前に立ちはだかる力士がいないのだから。曙も武蔵丸も、互いに競い合った中での優勝回数であった。貴乃花、若乃花といったライバルがいた。朝青龍の場合は無人の広野を行くが如く…そう、まるで故郷モンゴルの大草原のような!

 無敵という言葉がぴったり合うほどに朝青龍の強さが増しているのは事実だが、北の湖や千代の富士が憎らしいほど強かった時代と比べると、何かが違うのだ。リアルでは知らないが、初代若乃花や大鵬と比べても、やっぱり何かが違うのだ。歴代の大横綱たちに、瞬く間に、いとも簡単に優勝回数を並べてしまうとすれば、それは未曾有の不均衡のせいだと思う。朝青龍は一人横綱で、大関はカド番を繰り返しているような者ばかりで、関脇、小結、前頭上位にも朝青龍を倒せるような力士は見あたらない。白鵬に期待していたのだが、立ち合いで勝負が決まっていた。何もできなかった。

 このところの白鵬は、場所ごとに弱くなっているのではないだろうか。これは只者ではない、末恐ろしい力士だとファンも関係者も仰天したあの強さ、ふてぶてしさは、どこへ消えてしまったのだろうか。だんだん「普通の力士」になりつつある。相撲に覇気がない。誰とは言わないが、大関は勿論のこと横綱昇進も近いと言われた逸材なのに、三役から前頭上位を行ったり来たりしている力士が2人いる。まちがっても彼らの二の舞にはならないでほしい。モタモタしていると、本当に上がれなくなってしまう。

 全勝優勝の朝青龍の次位になるのは栃東の12勝。もう1人の大関である千代大海は10勝。星の差3つ、5つ。暗澹たる思いである。栃東はまだ許せるとしても(かなり譲歩しての話だが)、千代大海はそれでも大関かと言いたくなる結果である。よほどのことがない限り、朝青龍との差は埋め難いといえる。今後、朝青龍の独走に待ったをかける力士は出現するのだろうか。優勝について占う必要がない大相撲なんて、これまでにあっただろうか。大相撲がおもしろくなくなったと言われて久しいが、これではますます相撲離れが進んでしまうのではないだろうか。

 曙は、じり貧状態にある大相撲の再建策を協会幹部に訴えていた。彼の改革案は「相撲人気を今一度蘇らせるためには、海外場所を本場所にするしかない」という大変ユニークなものだった。花田勝氏の廃業、そして舞の海や小錦のタレント進出など、90年代の空前の大相撲人気を支えた人材の流出を嘆いていた。引退して親方になってからは「僕はこの世界に残って、何とか再び相撲人気を復活させたい」と繰り返していた。再三報道されていた格闘技界転向の噂もその度に一蹴してきたのだ。

 曙のK-1転向は「もう相撲界には未来がない」と、角界を見限っての廃業だったのかもしれない。曙は「ハワイや米国本土でも、決して相撲の人気は落ちていない。だからこそ、米国やハワイで本場所をやりたい」と、最終救済策として海外進出を訴えていた。しかし、北の湖理事長ら協会幹部は「ダメ」というつれない返事ばかり、その最大の理由が「相撲道とは保守なり」という伝統だ。相撲協会の内部では、若貴兄弟よりも「曙の方が人間的に素晴らしい」と、廃業後も曙を応援している職員や関係者も多いという。公式行事の無断欠席など問題行動が続く朝青龍のことも「僕が日本のことを教えたい」と話していたのは、他ならぬ曙だった。新年の年頭訓示で北の湖理事長は「今年も相撲は厳しい」と力なく話しただけであった。こんな状況では、曙が三くだり半を突きつけたのも無理はなかったと思う。

 なんだか江戸時代末期のようだ。開国してから急激に衰えた幕府みたいだ。いや、開国する前の時代遅れの将軍家だろうか。伝統を守りたいというならば、時代に合わせていかないことにはどうしようもないではないか。今の協会は死に体だな…。

 ところで今場所、平幕で非常に心を打たれた取組があった。関取最年長の琴ノ若は、場所中に37歳の誕生日を迎えた。当日は白星で飾り、「まだ27歳。気持ちも新たに若々しく頑張ります」と、明るい表情で軽口も飛び出した。その琴ノ若が9日目の安美錦戦で、土俵際で投げの打ち合いになった。2人とも頭から落ちたのだが、琴ノ若はしばらくの間、起き上がれなかった。起き上がった時、顔面は血だらけになっていた。眉の下、目の下、鼻の頭、顎の上が切れていた。この一番は物言いがついたのだが(結果は行司差し違えで琴ノ若の勝ち)、もし取り直しになっていたら、おそらく取れなかったと思われる。

 「手は着くな。頭から落ちろ」は相撲のセオリーだ。右手を自分の脇に入れ、早く落ちるのを防いだ。22年前の新弟子時代に師匠から口酸っぱく言われた教えを、体が覚えていた。しかしこの日の琴ノ若は、セオリー以上に闘志が漲っていた。頭から落ちたのではない、顔から落ちたのだ。頭から落ちたら土俵に髷が着いて負けてしまう。そのために顔から落ちたのだ。なんというガッツ!これには朝青龍も舌を巻き、「あそこまで粘るのはすごい。やっぱり相撲はこれですよ!」と絶賛した。弟弟子の琴欧州は「37歳でああいうことをやれるのは、若い時によほど稽古したんでしょう。僕も見習わなくちゃ」と感心しきりであった。

 最近は、あっけなく決まる相撲が多い。明らかに無気力相撲と言われても仕方ない相撲もあったりして、がっかりする。変化、引き、叩きなど、安易に勝ちを求める相撲が多くなっているのも確かである。そんな中、関取最年長が見せた気迫は、まさに相撲の真髄であった。若い力士にとっては手本であり、生きた教科書である。稀代のイケメン力士として注目され、週刊誌の表紙を飾ったこともある琴ノ若だが、こんなに長く幕内で活躍するとは思わなかった。努力の賜物に違いない。1日でも長く現役を続けてほしい。負けが込むと引退の二文字がちらつく年齢だが、今場所は1勝6敗から見事に持ち直して千秋楽に勝ち越した。敢闘賞候補にもあがったらしいが、この年齢で幕内で相撲をとっていること自体が敢闘賞に値すると思う。

 その全盛時代、子どもの好きなものの代名詞として「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるほど一世を風靡した大横綱だった大鵬親方が、今場所限りで定年退職となった。記者会見では「力士はお客さんが感動するような相撲を取らないといけない。時間はかかるかもしれないが、目先にとらわれずやってもらいたい」と話した。原点に戻れということだ。




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