122314 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

T・K's DAY CARRER

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
Jun 10, 2005
XML
カテゴリ:メンタル
「不登校」”school refusal”が大きく社会問題化されて10年過ぎた。
アメリカでは「学校恐怖症」“school phobia”と記載があるらしい。
日本は、1960年代にも一時目立ったが、1980年代は低下傾向を示し、再び1990年代に入って急増している。

1950年代後半~1970年頃    児童精神科医たちによる病理としての問題
1970年代後半~1980年代半ば 専門家以外の取り組み
1980年代半ば~1990年代半ば フリースクールなどの登場
1990年代半ば~現在       ホームエデュケーションの広がり(自宅学習)

アメリカ、1950年代後半~1970年頃は、神経症や精神障害が不登校の原因として、臨床心理の専門家たちが治療にあたっていた。
さて、1968年、私が小学校1年生であるが、クラスに一人だけ「登校拒否」”school refusal”あるいは「不登校」”school absentee”とよばれる状態の児童がいた。

いま、文部省は一応「学校ぎらい」を理由にして、年間50日以上学校を欠席するような児童・生徒の状態を指している。これに対して法務省は「何らかの心理的さらに環境的な要因によって登校しないか、登校したくてもできない状態」と定義している。
その児童がどちらの「定義」にあてはまっていたのか。

さて、1971年、私が小学校4年生である。その私は、文部省の定義にあてはめると、年間50日以上学校を欠席していた。
「理由」対処に面倒なクラスメートを避けるため。(私の所持品を盗む、隠す)
自分の時間を割いてまで、そのクラスメートとの”やりとり”が面倒であったこと。
つまり、クラスメートをたしなめたり、返却を求めたりする”交渉”が面倒なのだ。

その理由を母に話すまでは、かなり時間がかかった。
まず、彼・彼女らはいじめではなく、単なる”からかい”と”羨望”だったからだ。
その”からかい”と”羨望”という表現を、どのように話せば、誤解なく伝わるのかがわからない。服、文房具などを含めて、皆と違うモノを身に着けていたことが興味・関心の的になる。しかし、「皆と同じもの」も、自分の性質上ちょっと困る。そういった複雑な事柄を巧く伝えられない。
要するに「休む」ことが自分にとって「解決」の方法であった。

その後、父の転勤で、解決したような・・・
それからは大学を卒業するまで、普通に登校するようになる。(大学はサボリを覚え、もちろん遊んでいましたよ)
ただ、私の中学時代は、「いじめ」が流行だったので、無視、はずしなどは、「洗礼」されたが、それは、私だけではなく、順次クラスの一人一人が受ける洗礼である。
そういった時は、屈せず登校していた。
それが“すかした奴”という印象を与え、相手が少しエスカレートしそうになったが、次の洗礼者へ移っていく。(いまでも第一印象は“すかした奴”であるらしい。)

※講義の時間なので失礼します。まだ続きます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Jun 10, 2005 04:59:39 PM
コメント(9) | コメントを書く


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Comments

背番号のないエース0829@ アンネフランク(11/12) 「松谷みよ子」に、上記の内容について記…
icon library@ Re: What necessary words... super, a bri…
icons designs@ Re: It absolutely agree P.S. Please …
icon downloads@ Re: Completely I share your opinion. In i…
icon design@ Re: Really and as I have not thought abou…

Favorite Blog

ONE SWEET DAY sasuke-motleyさん
Optical Pro Shop 4R… Optical Pro Shop 4REALさん
文の文 sarisari2060さん
速聴 自己啓発 能… step7さん
今日も・・・はれば… じゃかバターさん

© Rakuten Group, Inc.
X