深夜ぶろぐ便

2010/02/28(日)01:15

深夜ブログビン

こんばんわ、みなさん、神戸ではしんこ漁がはじまりまして、これがはじまると春の到来です、しかし、近年の乱獲などにより漁獲高は毎年減る一方、魚屋のおっさんも手間なわりにもうけすくないから、したくないとか、ズラーと並ぶ行列、いかなごのクギニを作り親戚にくばるためです、これは震災のあとのお礼がぶ^むとなり、昔からあったのですが子供のころは相手にもしない味でした、今になって、おいしいとおもいますが、これが家々でぜんぜんちがうのです。うちのおかんもたきまくりおくりまくりのお金を散財してました、春となると思い出すのは、長七食堂の苦節のオープン準備です。いろいろもめたおして、融資もだめになり、もう辞めるしかない、というとこまでいきました、しかし、なんとか、オープンでき、今に至ります、いかなごの炊いている家々の匂いをかぎながら妻とふたりで、オープンチラシを一軒一軒いれにゆきました。大学四年のとき、外食産業にゆくときめたとき、友人が「なんで、大学まででて、皿洗いするのか?」と僕に暴言を吐いた、聞き流していたが、内心、ぐさっときた。入社してしごかれまくり、右も左もわからないのに、放置して次から次へと仕事を与え、パンクさせ、どなりちらす店長。この店長も実は大学の先輩であった、まあ五年も上ですが、毎日毎日怒られるので、数えていたんだ、36回怒られていたのだ、しかしだ、知らないうちにその怒る癖が僕に染み付き、数年後の広島のしんてんで教えているとき、怒鳴りまくっている自分にきがつかない、ぜんぜんバイトは定着しない、100人取って数人しか残らない。あるとき、広島の女子高生がメモをくれた「いつもおこってばかりいてはだめです、顔をみてびっくりします」ぼくは、はっと、気がついた、こんなことをしていてはだめだ。笑顔で仕事しなければならないし、怒るのはやめよう。まあ、怒るのはかなり減りましたが、それから10数年たち、会社をやめ、FCを弁当屋でやり、そこも辞めて自分のブランドの店をあくことが出来た、年賀でしか友人につたえられなかったがすぐに電話して来てくれた奴がいた、「おめでとう、夢がかなえたな!」そう、あの時僕に暴言を吐いた友人であった、しかし、彼もたまごやにはいり、福井支店の新規店舗を任されたのはいいが過労で体を壊し、透析の体となってしまったのだ。彼の言葉の重みを感じたのだ。いろいろな人生のクロスがあるな、と思うのです。 

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