今週日曜日、予定通り
夫の一周忌と納骨を行った。
桜は、、、
ダメでした~~(´*ω*`)ガーーン
でも、いいの、
夫のお兄さんがはるばる山口から来てくれたり
お坊さんも霊園の紹介だったけど
お葬式の時に葬儀屋の紹介で来た
みごとに滑舌の悪いおぼーさんとは別人だったから(彼の人柄はイイと思う)
すべて
今回のお坊さんは、 感じもよかった。
私がネットで調べて、手探り状態で書いた過去帳を読んで
『頭をガーンと殴られたような気がしました。
過去帳とは、本来こうやって書くべきだと思いました』
とみんなの前で誉めてくれた。
過去帳とは、浄土真宗だけのもの。
浄土真宗は位牌がないかわりに
一冊の帳面に亡くなった者の生年月日、没年を書く記録帳のようなものだ。
私がネットで調べた所によると
趣味や特技、嗜好物なども書いておくと
後世、その人の人柄を理解してもらえる、、とあったから
過去帳の品位をできるだけ損なわないように気をつけて
生年月日と、没年、そして
好物 葡萄酒
特技 西班牙語、、を書いた。
お坊さんはこの部分に感心したようだ。
『2年前にすい臓ガンで亡くなった妻の過去帳に
私も妻の好物を書き足そうと思います』と言ってくれた。
私はただ、ネットで調べたとおりに書いただけなのにね、、、
ネットというツールが新し過ぎたかな(;^_^A
まぁ、いいっかー。
誉められたことが未だに、きつねにつままれたような感じだけど
素直に受け入れましょう(^。^)y-~
さて、夫の遺骨が我が家のリビングからなくなり
寂しくなるかと思いきや、、
なぜか清々しい。
『けりをつける』という言葉があるが
まさに、夫の死に『けり』をつけた感じ。
葬式をしても、四十九日をしても
月命日に特別なお供え物をしたり、
年の瀬を喪に服したりしても
夫を看取ったという実感があまりわかなかった。
この度、一周忌を迎えるにあたり
お墓を購入して、
墓石のデザインを長女にまかせて
石屋さんと文字の構図を検討しあい
代々まで恥ずかしくない我が家のお墓を残すため
かなり真剣に考えた。
そのお墓に夫の遺骨を納骨して
私の人生の中でかなりな偉業を成したような満足感がある。
この感じ、どこかでも経験したような、、と振り返れば
そうそう、、
長女をお産した夜の感情と似ている。
27時間かけて産んだ夜、
まさに自分で自分をほめてあげたい!
『私、やったどー!!』
と雄叫びをあげたかった、
その感情と同じかな。
なんの取り柄もない私が
娘のお産と夫の納骨ができたこと、、
私にとってゆいいつの誇らしく思える事になった。
生と死という真逆なものが私の誇りとは皮肉な話。
まぁ、いいっかー。
とにかくホっとしていることは確かなこと。
(春休みなので)仕事日が多くて思うように墓参りに行けないけど
往復一時間の墓参り散歩は
めずらしく夫の事を思い出したりして
歩きながら一人で泣いたり笑ったりしている。
端からみたら変なオバサンと思われているかもしれない(笑)
泣いたり笑ったりも前よりフツーになってきた。
たとえば朝ドラの新次郎サンの涙目を見ただけで
最近の私の涙腺はゆるゆるになってしまうのだから。
この一年でやっと心のヒダの筋肉がほぐれてきたようだ。
時間が解決してくれるって、こういう事なのね。。。