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2009.11.29
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カテゴリ:表沙汰
 その分野に没頭するひとよりも、その分野にいくつもりがなかった人で成功している人がいるのは、メインよりも片手間のほうが作業を感じないからなんだろう。作業を感じない作業は、とても進むものだ。例えば、性的行為という、はたからみればただの単純な上下運動でしかない「作業」に、ほとんどの若い人が作業を感じないように。
 それに、専門的な深みなど、誰も求めていなかった。専門分野というものの「深さ」が具体的に何メートルあるのか、それは落とし穴に落ちた人にしか分からない。傍観して感じた深さが、実際より深いかもしれないし、浅いかもしれない。人々が感じるのは未知数だけだ。具体的な数字ではない。だから、その深さの具体的な数字を知っている人は有利ではない。その数字を知ってる人なんて専門家以外いないからだ。専門家同士で何かをするときにそれが役に立つ。人々が妄信するとしたらそれは具体的な数字ではなく、未知数なのだろう。そして、未知数はときにどんな具体的な数字よりも大きな値をとる。
 知恵を持つと、一瞬とか永遠とか有限ができて、時間を考えるようになる。時間を考えることで、「作業」が非常にたくさん増える。生物の生き方はもともと作業だ。だけど、それに気づくかどうかってことなのだろう。生命は、唯物論や進化論的には、おそらく使い捨てだ。そこにも作業を感じたら、次はきっとニーチェの超人思想を体現しなければならないだろう。ただのタンパク質の合成からうまれた、多様な生物集団、利己的遺伝子、淘汰。変化Aと変化Bがあって、変化Aが淘汰されれば変化Aは「退化」で変化Bは「進化」だ。だけど、変化Bが淘汰されれば変化Aは「進化」で変化Bは「退化」。
 感じられるそれらはただのタンパク質の合成というクオリアの発展系クオリアのようなものあるいは世界というクオリアなのかもしれない。知恵が客観・分析・発展を覚えて、一度、なにか生物として大切なものにすら、広大なる作業感を感じてしまったら…。






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最終更新日  2009.11.29 22:15:44
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