カテゴリ:表沙汰
サンスクリット程、知ることでヨーロッパの言語を深く理解できるようになれる言語は無いだろう。
j→g、はよく見受けられる音韻変化である。 sajji:弓を引く、は、まずsagittarius:射手、射手座と関係があるだろう。ギリシャ語のtoxotesは全く違う語源だろうか。しかし、なんとなくtoxoにはクロスボウ的なイメージが強い。 ヘラクレイトスの断片では、古い"弓"の呼び方に、biosのような音を持つ言葉をあてて、弓(bios)は命(bios)を奪う、という言葉遊びの断片があった。このbiosが、英語:bow、ドイツ語:bogenと関わりがあるのではないか。 "見る"の系統図は、ヨーロッパの言語を知っていると、とても興味深い。 サンスクリットの√lok:見る、は直接英語のlookにかかる。また、サンスクリットの√vidがある、がこれは、"知る"を意味する。 ラテン語のvidereは、"見る"となる。またそのvidereが、イタリア語のvedere、またギリシャ語のeidonである(古典ギリシャは"見る"という言葉の現在形にhoraoという違う動詞がつかわれるものの)。哲学とかでエイドスとか言うそれ。 ギリシャ語のeidonには、語頭にディガンマ(古典ラテン語のv,英語のw,=ウェの音)が隠されている。ゆえに、veidon(ウェイドン)になる。不定形的なものを省くと、ラテン語:vidと、ギリシャ語:veidになる。起源はどちらも√vidとつながりがあるだろう。どこかで、"知る"が"見る"にかわる。 しかし、サンスクリットには√jna、(nはスペイン語のエスパニョールのn、つまり上に~がつくnで、ニャ行、ジュニャー)も"知る"である。 まさにこれはギリシャ語で"知る"に関係がある。ギリシャ語で"知る"がgignoskoである。この語と√jnaとの関係は、まさにサンスクリットによって知り得る。まず畳音が現在形でも行われるという動詞変化の分類、それはサンスクリットでは普通に習うが、ギリシャ語はとりたてて言われない。 ラテン語でも、ギリシャ語でも、畳音があったら、ふつう完了系だ。 実際、サンスクリットでも、畳音は完了系でおおよそ行われる。だから、畳音をみたら、完了系だと思うのは同じ。 でも、ギリシャ語のtithemi:立つ、didomi:与える(それこそ、サンスクリットで与える√da、畳音と人称語尾を消せば、ギリシャ語もdidomiは"do")、とかと同じく、これは現在形で畳音が行われる。ゆえに、gignoskoは、一番最初に畳音がある。つまり、giをとって、gnosko。 次に、sko、これも動詞の根っこではない。apothnesko:死ぬ、eurisko:発見する、didasko:教える、とか、skという音に共通の意味がある。どんな意味か、自分でもよくわかっていないが。ラテン語の知るがsco(scere)なので、"知る"なのか?って思ってしまうが、よくわからない。例えばdidaskoとか、do:与える、の畳音にskがついて教えるになる。与える+sk=教える、とすると、確かにskは"知ること"にまつわっているきがしないでもないのだが。 いずれにせよ、畳音とskという要素をgignoskoから消せば、gnoが残る。gnosisのgnoである。これが√jnaから派生した。 恐らく、"知る"を意味する、英語のknow(ラテン読みすれば、クノー)、ドイツ語のkennen(ケネン)、も√jna=gno(グノー)からきているのではないだろうか。 つまりゲルマン系統の"知る"の系列は、ラテン語系統と随分違う子音を感じていたが、結局源は√jnaから考えることで解決するのではないか、と思う。 またそれ以上に露骨なのが、ロシア語の"知る":знать(ズナーチ)であろう。不定形のтьを消して、語根的なものを求めるとしたら、зна(ズナー)で、√jna(ジュニャー)の音を露骨に残している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.07.18 10:47:44
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