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2014.07.13
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カテゴリ:表沙汰

 確かに、未来にばかり期待しているときりがない。
 人生とは過去未来というより、現在の連続体だからだ。
 今に満足しなければ、決して満足自体は得られない。
 未来への期待は原動力にはなる。

 例えば、テレビゲームとかでも、終わってしまうともう楽しみもない。
 つまり、期待した未来=ゲームのラストは楽しみの終わりに他ならない。
 未来への期待=ゲームの途中"現在"の連続体自体が
 ゲームの楽しみ自体をなりたたせてはいる。
 目的の全到達は楽しみの終わりだ。


 未来への期待という意味では、
 海外に想いをはせるなら、美術とか風景を見たいというより
 いかに自分のライフワークに影響をあたえてくれるかが目的だ。
 とにかく、仕事がほしい、ライフワークがほしい。
 与えられる生活も縁だが、いつかは自らの力で生活がしたい。
 それやそのきっかけを得るにはどこが適しているのだろう。

 しかし、何度か海外には行ったけど
 はたしてどのように影響があったか。
 "海外に行って世界観が変わった"という常套句は
 ある点では正しく、ある点では間違い。

 結局、海外は日本と同じ物質でできていて、
 ただ日本の"当たり前"の便利さが欠けているというだけの世界だ。
 数日間の強制断捨離だ。
 その強制断捨離でどう自分が変わるかだ。
 断捨離修行したからといって
 必ずしも執着が捨てられるとも限らないわけ。

 うち1度は、18歳くらいに
 現状の楽しみも苦しみにも行き詰まりを感じて、
 一発逆転でライフワークがみつかることを期待して
 海外についていってみたが、一発逆転はなかった。

 ただ、勿論生きている以上自分に影響が無い事態など無い。
 意識しない小さな要素が未来に作用するから。

 全てが違うということは苦痛でしかないが
 一発逆転というものもその範疇に含まれるから、
 ひとは一発逆転を求めてその苦痛に期待してしまうものなのである。

 自分はといえば本質的には、セーブもなしに
 パルプンテなんて絶対使わない人間だが。






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最終更新日  2014.07.13 12:53:53
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