337521 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2014.07.28
XML
カテゴリ:表沙汰
 不可解な現象である感情に、
 肯定否定を持ち出すとめんどくさいから、

 また誰かに理解してもらうとか
 誰かに理解してもらうために、
 誰かに親切にするのもめんどくさいから、


 かといって、何をしたいかがはっきりしていない以上
 自分らしく生きようとする上での方向性もよくわからない。

 そのかわりとしては、嫌なことははっきりしているし、
 "嫌なことから逃げていては〜"の論理も
 "社会における自己実現"の論理も本質的には嫌いなのもはっきりしている。

 社会や間柄という物理的でない形而上の存在を
 私という少なくとも物理的な形而下よりも実存的な存在だとするすべはない。

 そして私の言葉を誰かに伝わるように努力することは
 ものごとの本質を失うことにすぎないかもしれない。



 私たちがやりたいことをしたいのは
 そうしていれば時間が長くないからだ。
 時間が長いと、悩むからだ。
 つらいときは、時間が長いが、
 つらくないときは、時間は短い。

 時間が早く進めば、死も近くなる。
 だからこそ、人は死への存在だ。
 その上で、人は時間が早く進むことを望んでいるのだ。

 自分よりも、社会のほうが肉体的で物理的なものだと認識するならば
 そうして埋没するならば、それほどに人は死への存在という意識を失う。
 というのは、哲学史的には聞き飽きた話かもしれない。


 知人の言葉や諸人文、諸学問の理論といった
 すべての他人からの影響を分解して
 自分の本来を知ることは、ひとつの意義にはなるかもしれない。

 ただ、何にも期待するな、目的や自己実現に囚われるな、
 というのもまた同時に、良い言葉だとも思える。
 むしろ、そちらのほうが。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.07.28 12:10:28
コメント(0) | コメントを書く


PR

サイド自由欄

設定されていません。

© Rakuten Group, Inc.
X