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2015.08.03
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カテゴリ:表沙汰
第三者の視点は第三元論だ。
感情に打ち勝つのは、第三の視点だ。

私たちが恐怖、怒り、不浄、害悪を感じるのは、
二元論のなかの片方に置かれてしまうからだ。

天使と悪魔を、
食べ物に、書物に、籤に、方角に、数字に、人間に、
社会や文化圏といった抽象的集合概念に、
表象と言霊、シニフィアンとシニフィエに、
つくりだす、想像力をもっているけど、
その想像力の及ぶ限り、境界を定めている。

境界は回路だ。境界によって、エネルギーは
行き先が定められ、縦横無尽にはならない。

が、境界はときに余計なものまで塞ぐ。
そして境界は、そもそもいつそれを設置したかを忘れる。
そうなれば、もはやただの不自由さだ。
人はそれをトラウマと呼んだっていい。

心理学では、トラウマを思い出すことがトラウマの除去にいいと言うけど、
思い出すだけで、あるいはカウンセラーか何かに話すことで、何か効果があるのだろうか。

治療は、いつもそれが浸透するのを待たなければならない。
意識から、無意識へ、消化されていくのを待たなければならない。

知識はいつも、噛み砕いて消化するイメージを持っている。
貪りすぎて上から下からはみでそうになっていても、
便秘の消化不良であっても、よろしくはない。
結局、人間は知識を噛み砕かなければ、使えやしない。
やっぱり、意識なんて、人間の氷山の一角だ。
知識を、会話を、瞬間的反射ではなく、インスピレーションでもなく、
ただ意識だけで行える気はしない。

トラウマを、前述の二元論から抜け出すために、
その過去の記憶を、自分とトラウマを与えた相手の視点ではなく、
第三の視点でみなければならない。
そんなところまでやってみて、途中で疲れて、どうでもよくなる。
また回路へ、二元論へ戻っていく。
実際のところ、“それでもなんとかやってけてはいる”。

自由なゲームは、何をしたらいいからわからないから、
一本道のゲームのほうが良いと言う人もいる。
障害のない回路は広々としているが、結局選べるのは一本の道だ。
障害だらけの回路は、それがないよりも道筋ははっきりしている。
どちらがいいのか、人がいつも隣の芝を青く見てしまう以上、
そこに答えを求めるのも難しい。





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最終更新日  2015.08.03 22:56:26
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