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2018.06.30
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カテゴリ:表沙汰
スーフィーやヒンドゥー的な修行、ある意味では西洋でも東洋でも修道院的な場所で学ぶ修行に、「孤独を学ぶ」「人と話さないことを学ぶ」はある。孤独を義務付けられた人生は、その自分の根源、魂のようなものを、いかにして守ろうとする癖があるかどうかにかかっている。
 現代社会で孤独は、人と関わるのが億劫になることで始まるが、人と関わりたく無いのは、自分が傷つけられたくないからだ。そのくらいに、自分が傷つけられることは問題だ。
 けれども、この世は自生することができない。誰かと関わることなしに、お金を稼ぎ、欲求を満たし、肉体を維持し、命を維持していくことはできない。生まれたそのときから、自分の命は、他の誰かに依存している。だから、生きて行くには人と関わらざるをえなくて、人と関わらざるをえない以上は、その人の魂の形によっては、人と関われば関わるほど、どんどん傷ついていく。
 魂の形によっては、誰が何を言ったところでなんとも思わない人もいるから、そういう人にとっては、人生の生き方なんてなんの問題もあるわけではない。しかし、ちょっとした他人の悪意に過剰反応してしまう魂もあれば、何の理由もなくただ自分が生きているというだけで不快感を感じることもある。
 昔、交通事故で、Tシャツが血で真っ赤になるほどの怪我をしたときは、あまり痛み自体はなかった。物理的な痛みは、程度によっては麻痺するのだろう。どちらかといえば、「ショック」のほうが大きかったのを覚えている。そのように、物理的な痛みは、ある程度いけば麻痺する。
 しかし、魂の痛みは、すなわち、精神的な痛み、心理的な痛みはどうか。それが麻痺したことを、あまり経験したことがない。
 15年以上前の交通事故のときの縫い跡は、まだ残っていてたぶん一生消えないが、特にその縫い跡のせいで色々損をしたとかそういうことは何もない。でも、誰にも見えない精神的な傷のほうが、人生をかなり阻害してくるのだ。
 それほどのことなのに、人と関わり、人とともに生きなければならない。仲の良い、気があう人たちだけと関わるだけの人生なら、単純にそれさえあれば人生はひたすら幸せなのだが、不特定多数と関わらな帰れば肉体が維持できない、この苦しみを。





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最終更新日  2018.06.30 11:34:39
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