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12月19日(土) 渇いて苦しみの極限にいかれたイエス
「わたしは渇く。」 ヨハネの福音書19章28節 イエスは十字架の上で、すべてのことが完了したのを知って 「わたしは渇く」と言われました。 それは聖書が成就するためでした。 それは旧約聖書の詩篇に書かれている 「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。」 という言葉の成就でした。 キリストは、カラカラに喉だけではなく体中が渇き切っていました。 そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてありました。 そこで彼らは、その酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、 それをイエスの口もとに差し出したのです。 苦味を混ぜたぶどう酒は麻酔の代わりになります。 しかし、酸いぶどう酒は渇いた時に飲むと、より渇きは増し、苦しみは増し加わるのです。 イエス・キリストは、苦しみの極限にまで行かれました。 この地上で受けることのできる最大限の苦しみの極限にまで行かれました。 それは私たち人間がどんなに罪の結果、苦しみ痛んだとしても、 そのもっと下に、イエスの御手が伸ばされて私たち人間を助け出すためです。 ですから、あなたが、今、どんな苦しみの中にいても、地獄だと思ったとしても、 その下にイエス・キリストの愛の手があります。 イエス・キリストの救いと助けの御手があるのです。 イエス・キリストは、十字架の上で、あなたの代わりに苦しみの極限を味わい、 地獄に行って、あなたを赦し助け救い出してくださったのです。 イエス・キリストはあなたを愛しておられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.19 10:42:47
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