創作童(!?)話《人間七十年》
本日は、グリム童話の《寿命》をベースに、九州地方の伝承《人間の年六十》(アニメ《まんが日本昔ばなし》では《神様の年定め》名義)の要素も加えた創作童(!?)話《人間七十年》を、お送りいたします。《童話》と呼ぶには重い部分もありますので…敢えて《童(!?)話》としました。人間七十年或いは馬と犬と猿と《2種類の人間》と作:ぶうぶのまあち(グリム童話《寿命》および九州地方の伝承《人間の年六十》より)序文当方、《勝ち組・負け組》なる言葉は、あまり好きではない…しかしながら、その《好きでない言葉》なくして語れない事だってある…!第一章:一律30年遥か昔…生き物達の寿命が、《一律30年》だった頃。馬は、《人間》のために重い荷物を運ばされ、鞭打たれたり足蹴にされたりの《苦労》を、30年間続けさせられていた。犬は、《人間》のために見張り番をやらされ、夜もおちおち眠れぬ《しんどい》生活を、30年間続けさせられていた。猿は、《人間》のためにばかげた芸をやらされ、笑いものにされる《哀しき道化》の生活を、30年間続けさせられていた。馬も、犬も、猿だって、しばしば《人間》への《反撃》を試みる事もあったが…そして、《人間》もまた当時は30年の寿命だったが、同時に《勝ち組人間》と《負け組人間》と《2種類の人間》が存在していた。《勝ち組人間》は、その30年間が《順風満帆》そのものであり、《負け組人間》をも含めた全ての生き物の頂点に君臨していた。一方、《負け組人間》は、その30年間を《勝ち組人間》のために馬の如き《苦労》をさせられ、犬の如き《しんどい》思いをさせられ、猿の如き《哀しき道化》を演じさせられる…馬と犬と猿との如き業苦を背負っていた。あまつさえ、しばしば馬や犬や猿から《反撃》の対象にされたりしていたのは、大抵《負け組人間》だった。この状態が、いつまでも続くと思われていたのだが…第二章:寿命定めある時、馬と犬と猿と2種類の人間…《勝ち組人間》と《負け組人間》とは、こぞって神様の所へ直談判に行った。それぞれが、自分の寿命《30年》に対する不満を抱えていたのであった。「私達の寿命が30年なんて、あんまりです!」馬と犬と猿と2種類の人間とは、声を揃えて神様に訴えたのだった。「…いっぺんに訴えられてもなぁ…」神様は、彼らの言い分を順番に聞くことにしたのだった。「30年は、長すぎます!」馬は、そう答えた。「荷物を運ばされ、痛い思いまでさせられ…30年も《苦労》なんて、願い下げです!」「30年は、長すぎます!」犬も、同じ答えだった。「夜もおちおち眠れない見張り番を30年もなんて、《しんどい》だけです!」「30年は、長すぎます!」猿もまた、同じ答えだった。「《哀しき道化》として30年も生きるなんて、まっぴらごめんです!」「30年は、短すぎます!」《勝ち組人間》は、そう答えた。「今までも《順風満帆》で、面白おかしく生きていけたのに、なんで30年で終わらなきゃいけないんですか?もっともっと長生きして、もっともっと面白おかしく生きたいですよ!」「…しかしなぁ…もう1種類の《人間》の言い分も、聞いてあげないとなぁ…」《勝ち組人間》からは抑えつけられ、馬や犬や猿からも突き上げられる《負け組人間》だったら、寿命を減らして欲しいと願うに違いないと、密かに期待していた神様だったが…「30年は、短すぎます!」《負け組人間》もまた、同じ答えだった。「もっともっと長生きできれば、自分もいつかは《順風満帆》な生活になれるかもしれないじゃないですか!」一通り聞き終えた神様は、馬と犬と猿との《境遇》を憐れみ、《2種類の人間》すなわち《勝ち組人間》と《負け組人間》との《欲をかいた本質》に呆れながらも…馬の寿命を20年に、犬の寿命を10年に、猿の寿命を20年にと減らしてあげ…馬から取った10年と、犬から取った20年と、猿から取った10年と、合わせて40年を《人間》に与えて70年の寿命にしてあげたのだった。馬と犬と猿とは、「もっと寿命を減らして欲しかった。」と…《人間》は、「もっと寿命を増やして欲しかった。」と…それぞれ不平を述べながらも帰って行った。それからというもの…馬は、《苦労しても》20年で…犬は、《しんどくても》10年で…猿は、《哀しき道化でも》20年で…それぞれ、この世を去る事ができるようにはなったのだが…第三章:《一括りの人間》そして、寿命70年となった《人間》だが…《負け組人間》は、30年はおろか、40年、50年、60年…と、やはり《負け組人間》のままだった。ただでさえ馬と犬と猿との如き業苦を背負っている上に、馬と犬と猿との寿命と共に業苦までも加わったが故である。《勝ち組人間》もまた、《負け組人間》同様の業苦すなわち馬と犬と猿との業苦が加わったことで、自分もいつ《負け組人間》になってしまうかの不安と恐怖とに苛まれるようになったのだった。《勝ち組人間》の、《負け組人間》に対する当たりは、以前よりも酷くなり…やがて、《勝ち組人間》の間では、《勝ち組人間》《負け組人間》と、さらに分かれていき…《負け組人間》の間でも、《勝ち組人間》《負け組人間》と、さらに分かれていったのだった。大抵《負け組人間》に対して《反撃》していた、馬と犬と猿との業を、《勝ち組人間》《負け組人間》共に背負ってしまったが故である。強い者が弱い者を苦しめ、その矛先は更に弱い者へと向けられるようになった。異質な者を排除した上で、上辺だけ仲良くする者達もいたが…それは、何かあったら崩れる《脆い関係》でしかなかった。この時期になると、誰もが《勝ち組人間》になれる可能性を持てる様にはなったが…同時に、《負け組人間》になってしまう危険性をも孕んでいた。《勝ち組人間》になれる…とは言っても、真っ当な手段でなるのは至難の業だった。寧ろ、あの手この手の策を弄してなった方が手っ取り早かったのだが、それでも《うまくいったら御の字》程度の可能性でしかなかった。どちらにしても、遅かれ早かれ次に取って代わられてしまうのだった。こうなってしまった今、《勝ち組人間》も《負け組人間》もない。馬と犬と猿との業苦を、そして業を背負い、互いに憎み合い、貶し合い、潰し合う、《一括りの人間》がいるだけとなった。酷い場合には、相手の命までも奪い…はては、自ら命を絶ってしまう所にまで追い込んでしまう事だって…最早、寿命で死ぬ以前に、いつ自分の命が失われるかの問題になっていった。《人間》は、《欲をかいた》が故に年取ってから苦労するどころか…生まれた時から大きな苦しみを背負う事になったのだった。「こんな事になるのだったら、寿命30年の方が良かった。」と、悔やむ《人間》達だったが…もはや後の祭りだった。この状態が、いつまでも続くと思われていたのだが…最終章:或る比丘の決意そんな《人間》達の有様を見つめていた一人の比丘(びく:仏教の修行僧)が、「…何と言う事だ…!」と、涙を流しながら呟いた。「これでは…それは多くの《人間》が、この苦しみの境涯を出離など、到底できるものではない。」この比丘は、元は或る国の王様だったが、世自在王(せじざいおう)という名の勝(すぐ)れた仏様の教えを受け、王位も家庭も財産も全て捨てて世自在王仏の元で出家したのだった。「馬や犬や猿だって、この世を去ったからといって、救われているわけではない。次には《人間》に生まれて、70年もの間苦しまなければならぬのかもしれぬ。餓鬼かもしれぬ。地獄の亡者かもしれぬ。そうやって、もっともっと長い間苦しまなければならぬのかもしれぬ。否…全ての生きとし生ける命は、この苦しみの境涯から自分の力では決して抜け出すことはできないのだ。」やがて比丘は、ひとり胡座(こざ)して思唯(しゆい)に入るのだった。「何とかして、全ての命を救いたい。それには、一体どうしたら良いものか。」そう、五劫(ごこう)もの長い長い間…この比丘の名を…法蔵(ほうぞう)と云ふ。~完~2019/5/14執筆 2019/5/15完成あとがき人間の一生とは、おとぎ話の様な人間らしく30年の後、ロバor馬の苦しみ、犬の苦しみ、猿の苦しみ…と順番にやってくる単純なものではありません。なので…原典どおり30年を人間らしく生きる《勝ち組人間》と、30年を馬や犬や猿の如き苦しむ《負け組人間》と、《2種類の人間》を設定せざるを得なくなりました。庵野秀明にオダギリジョー…もとい、案の定、その後の《人間》は、原典とは大きく異なり《年を取ってから苦労ばかりする》どころじゃない展開になってしまいました。そして、《最終章:或る比丘の決意》…人によっては《とってつけた感》しかないでしょうが…宗派によっては《不快感》しかないでしょうが…《馬や犬や猿は、早くこの世を去る事ができても、本当にそれで幸せなのだろうか?》なる考えもあっての《最終章》ですので…何卒、御理解の程を。最後に…昨日、YouTubeの動画にアップロードされていたアニメ《まんが日本昔ばなし》の《神様の年定め》を視聴していて、人間の馬や犬に対する扱いのシーンがいたたまれなくて(ラストシーンにも御見苦しい箇所をお詫びするテロップが)…それで、今回は画像を貼るのをよしました。2019/5/15・20:20頃