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カテゴリ:スポーツ・格闘技
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マット界に衝撃!人気プロレスラーの橋本真也が何と40歳の若さで急死した。死因は脳内出血とされているが、報道も錯綜しているのかはっきりとしない。ただはっきりしているのは同居人が見つけて、急遽横浜市内の病院に搬送したが既に心肺停止状態だったそうだ。 このニュースは会社帰りに駅の売店のスタンドに、一際目立つ大きな字で「橋本急死」が書かれていた。一瞬その文字をみて我が眼を疑った。橋本はZERO-ONEを解散させて、古傷の右肩の手術をしてリハビリ中と聞いていた。新日本を喧嘩別れで退団してからZERO-ONEを興し身を粉にしていたのが結果として命を落とす遠因となったのだろうか?小川や大谷らと頑張っていたが、借金を残して亡くなったのは残念だ。 橋本は新日本で武藤(現、全日本社長)、蝶野とともに闘魂三銃士として売り出したのが一線に躍り出たきっかけだった。新日本では猪木、藤波、長州、木村、藤原らの次世代として大いにプロレス界を盛り上げた。 私は元々大の新日本ファンで会場にも試合観戦に出かけたこともある。橋本はIWGP王者にも何度も君臨し文字通り新日本を牽引したきた。ところがその橋本の運命の分かれ道になったのが、柔道出身の小川との度重なる対戦だった。IWGP王者だった橋本は小川の柔道殺法に歯が立たず一度は引退を決意する。 だが橋本はファンの願いもあって(多少演出もあるが)現役復帰を果たす。今度はその小川との抗争を経て盟友としてタッグパートナーとして共にプロレスラーとして活躍する。プロレス界を飛び出してバラエティ番組にも出演するなど、この頃の橋本は小川を盛り立てていた。 橋本のファイトスタイルは、「ブッチャー」と称されるそお太鼓腹の体型がファンには受けていた。だが高校時代(岐阜・中京高校)に柔道を習っていた彼は、パワー殺法に関節技をミックスさせて一世を風靡した。近年は袈裟切りチョップを乱発した影響からか、右肩を傷めて手術をしリハビリ中だった。 だがその橋本は人一倍優しく、そして傷つきやすい性格だったのだろう。新日本では「チンタ」の愛称で愛されていた。 K-1やプライドなどの総合格闘技ブームには興味を示さずに、自身で興したZERO-ONEを守り通した。その団体は解散したが、密かに古巣新日本復帰を画策していたようだ。やはり彼には新日本のリングが一番似合う。 思い出の試合といっても、彼の新日本時代の全盛時のファイトは瞼に焼き付いている。その当時の全てのファイトがいい想い出だ。橋本は40歳でこの世を去ったが、レスラーは中々天寿をまっとうできないようだ。 G・馬場、J・鶴田、D・マードック、アンドレ・ザ・ジャイアント、A・アドニス、B・ブロディ、G・オブライト、T・ゴーディー、エリック兄弟。やはり普段から体を酷使してきたツケだろうか、長生きできないのは残念だ。 橋本真也の死亡時の詳細は今後徐々に明らかになるだろう。冥福を祈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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