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井原線ふるさとじゃ~ナル

井原線ふるさとじゃ~ナル

【井原線ウォーク (25周年記念)予定】は、7月15日★渋沢栄一ゆかりの地ウォークですべて終了しました。
 25年間の区切りのウォークは、雨で多くの方のご参加はいただけませんでしたが無事故にて開催することができました。
 雨降って地固まるといいます。これからは現在までの25年間の井原線ウォークの集大成としてウォーキングガイドブック編纂を活動の中心に据えつつ不定期にウォーキングイベントの開催してまいります。
 思えばよく続いたと思う。遠くまで来たものだ。
◆お問合せ先:
  井原線まちおこしネット 代表 岡田正樹
  ※メール:okada999@ibara.ne.jp
2024.07.26
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テーマ:まち楽ブログ
カテゴリ:ほほほのおと。
7月26日(金)晴れ
 山成酒造の昔の玄関から細い旧道を南へ進むと小田川の堤に至る。



 ここに大戸郁蔵こと緒方研堂の旧宅がある。後月郡簗瀬村(現在の井原市芳井町)で大戸万吉の長男として生まれ、漢学者であり蘭学医の山鳴大年について漢学を学び、大年の勧めによって、江戸に出て、津山藩の儒学者昌谷精渓に漢学、誠軒坪井信道の塾に入り蘭学を学び、誠軒の塾で足守の出身である緒方洪庵と出会い、洪庵に指導を受けた。
 緒方洪庵が天保9年、大阪で適塾を開業、研堂は塾頭となり、蘭学や医学を研究する傍ら、門弟を教え、患者の治療の手助けをした。その後、研堂は洪庵と兄弟の約束を交わし義弟となり、緒方研堂と名乗った。  研堂は後に独笑軒という塾を大阪に開き、それ以来人々は洪庵の塾を北の緒方、研堂の塾を南の緒方と呼ぶようになった。  明治2年(1868)明治新政府は大阪に病院を開くが、このとき研堂は少博士として招かれ、洋書の翻訳、教授及び治療に従事した。  明治4年(1871)、56歳で没し、墓は洪庵と同じ大阪天満町の竜海寺にある。





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最終更新日  2024.07.26 23:25:35
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