テーマ:ひきこもりの様々なカタチ(20)
カテゴリ:引きこもり・AC・鬱・トホホなメンタル話
メンタルフレンド養成講座の第3回。今回の魚沼地区でのシリーズの最終回は「ひきこもり者の心の内」と「まとめと登録」。この、「ひきこもり者の心の内」の部分を、元ひきこもりであるオレが担当することになり、1時間ほど話した。
これはもう、まったくのノープランで臨んだ。ひきこもっていた頃のことを話すのに、前準備なんて必要無いし、準備しようにもここのところ堕ちまくっていたので無理だっただろうしな。最近の堕ちこみ具合を引きあいに出し、ひきこもっていた頃のメンタルの状況や感じたことなどを思いつくままにだらだらと話したのだが、終わってからメンフレの市嶋さんから思いがけず誉めてもらった。「ひきこもりを理解するキーワードがたくさん出てきたわかりやすい」話だったと。これはおそらく、今“堕ちている”状況が、ひきこもっていた当時の気持ちとうまくシンクロして“伝えたい”思いに繋がったのではないかと思う。あとは場数を踏んで、自分の中でもかなり整理されてきたのかな、とも思う。 ひきこもりや不登校を考える上で見逃され勝ちなのは、「誰にとって、何が問題なのか?」という部分だと思う。 6月に新潟市で行われた、長谷川博一教授のメンタル・フレンド講演のエピソードにまず触れた。長谷川氏は現役のカウンセラーでもあるから、ひきこもりや不登校の家族が相談に訪れることが多いのだ。そうした当事者の家族に対して、長谷川氏は第一声に、 「おめでとうございます!」 と言うのだそうである。講演でそう聞いた当時は、さすがに面食らったのだが、その後時間が経つにつれ、だんだんと納得できるようになった。 ひきこもりや不登校の当事者が向きあっているのは、行動様式の問題というよりもむしろ圧倒的に自らの心の問題なのだ。心がつらくて、今まで送ってきた日常を続けていけないからひきこもるのであり不登校にもなるのだ。そして、ひきこもりや不登校というふうにその心の問題が表面化しないかぎり、周囲はそのことに気付けない。周りの人間たちばかりでなく、本人すら気付けない場合だってある。ひきこもりにせよ不登校にせよ、当事者がそうして行動にして現さないかぎり、本人が抱えている心の問題や悩みには光が当てられることはないのだ。だから、ひきこもりや不登校は、周囲の人たちや本人がそのことに気付くことができるようになる、必要不可欠なきっかけとなるのだ。心の面に目を向けるならば、これは大いなる一歩前進なんである。だから、「おめでとうございます」なんだと今ではそう理解している。 ひきこもること不登校になることは、残念ながら当事者の不利益になることが多いのも事実だ。さらに無理解と思慮の無い印象のみで、それらが望ましくないこと、劣っていることと見なされることも多い。家族や周囲の人間たちも、その風潮に乗っかってとにかく“正常に戻す”ことを目指したがる。まぁ、その方が話が深刻にならずに楽ではあるよな。しかし、本人の心と向きあうことこそが必要なのであり、そしてそのことは身内や家族であればなおのこと、腹をくくらねばならないようなことだ。覚悟が必要なのである。 ではいったいどのような覚悟が必要なのかというと、それはつまり当事者がひきこもりだろうが不登校だろうが「そのままでいいじゃない」と心から思い信じることだ。まぁ、難しいことなんだろうけどな。「生きてさえいればそれでいい」と、心からそう思うことができたら当事者も周りの人たちも非常に楽になれるだろう。ただ、常識の縛りから逃れられないかぎり、これは相当難しいことのようで。ましてや当事者が家族とか自分の近しい人間だったらなおさらのことだ。だから、第三者の手助けが必要になってくる。メンタル・フレンドの活動にしても、そうした家族では難しい部分をサポートする目的を担っているのだ。 「覚悟が必要」などと、らしくなくキビシイことを書いてしまったが、これは厳然と真実なんで曲げられない。そうは言ってもつらくキビシイ道のりは誰だって嫌である。だから、「助けを求めてくださいな」と言いたいのだ。当事者にとっても家族にとっても、現状を受け入れることは難しいことなのだろうけど、だからこそそのことを成し遂げるためにできるだけ気持ちを楽にもってもらいたいのだ。家族の方たちには、「現状が当たり前でない」プレッシャーに負けずに、「自分自身の生活」をまず楽しんでもらいたい。自分の生活を楽しめるように工夫をし、できることをできるだけしてほしいと思う。「ありのままそのままで、今のままがいいよ」と告げるのは、やはり家族にとってはかなり難しい。それは例えばメンタル・フレンドに任せて、そして現在の自分自身の生き方を楽しく気が楽なものにしていってほしい。現状が「普通」でないことだけを気に病んで、当事者や自分自身の気持ちの在りように目を向けることができなくなっては、これはまさに本末転倒だ。「覚悟」などと書いたが、そうした現状を受け入れることができればそんな覚悟なんていらないのだ。ただ、あっけらかんとありのままを受け入れるだけでいいのだし、そうできればそれがいかに楽なことであるか気付けるに違いない。 ひきこもりや不登校のご家族とお話ししていると、やはり当事者の気持ちを根掘り葉掘りは訊けないもののようで、その部分を熱心に尋ねてこられる。彼ら彼女らの気持ちをオレが代弁できるはずもないが、かつて同じような体験をした者のひとりとして、かつて自分が感じた気持ちを話させてもらった。 ほんとうに、こうして関心を持って集まってくれる人たちがいくらかでもいることがさいわいである。3回にわたった魚沼でのメンタル・フレンド養成講座は今回で終わり。質的にも人数的にも、予想外に多くの実りをもたらした結果になったと信じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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