テーマ:ひきこもりの様々なカタチ(20)
カテゴリ:引きこもり・AC・鬱・トホホなメンタル話
14:00から市の地域振興センターへ、「夜回り先生」こと水谷修氏の講演を聴きに行った。魚沼市の生涯学習課が企画する市民大学の公開講座として催されたものだ。
水谷氏の公演で印象に残ったのは、常に客席に問いかけ語りかける姿勢と、その力強い言動だった。19年間、ごまかし無く「人」と対峙し続けてきたからこその確信を備えたその言動に圧倒された。 小型兵器・対人地雷の禁止へ向けての活動のお話を伺った鬼丸昌也さんの講演の時もそうであったが、深刻な問題の実際の現場を知っている人から伺う話からは、暗澹たる気持ちにさせられる現実の醜い部分を知らされる。実際に目で見、耳で聴いてきた人からの話を伺うことは大きく心動かされるものだ。そして、目をそらし耳を覆うことはすまいとの自覚を与えられるのだ。薬物に手を染め、抜け出せないままに亡くなっていった若者の話。夜の世界で輪姦され、売春を強要され、HIVに感染し、この世を去っていった少女の話。夜眠ることができず、夜中の2時3時にメールを寄越す、閉じこもった若者たちの救われない心の話。胸が痛んだのは、不登校から保健室登校になり、教室へ戻ることを望んでいた中学生の少女が、保健室に登校していた時に届いた一通の「ウザイ、死ね」というメールによって、その直後死を選んだという話だ。 聴衆に向かって、「あなたたちと私は住む世界が違います。私は『夜の世界の住人』です」と水谷氏が言ったとき、かつて自分がひきこもっていた頃に暮らしていた世界は、確かに『夜の世界』だったと、じんわりと感じた。非行に走る子どもたち、薬物に手を染める子どもたち、リストカットをする子どもたち、不登校をする子どもたち、そして、自殺をする子どもたち。彼ら彼女らをそうさせる原因は、彼ら彼女らの内側にあるのではない。子どもたちだけじゃない、人間すべてに関る、相互不信、感謝の念の欠如、自己肯定感の無さとそこから生み出される他者への容赦無い攻撃性…我々が無関係ではいられないこれらの心の弱さの発露としての暴力の連鎖の行き着く先として、今多くの子どもたちと若者が犠牲に捧げられているのだ。こうした子どもたちは、弱者ではあっても劣った者では決してない。彼ら彼女らを弱者たらしめているのは、他の誰かを思い遣る気持ちを備えた者には抗うことが困難な、社会の心無い仕組みなのだ。これらのことに、無関係でいられる人間はひとりもいないだろう。 ひきこもり・不登校・いじめられ・リストカット・薬物依存/OD・非行…挙げていったらきりが無い、心無い世の中の構造の不備を自らの問題として発露させている人たちの心は、祝福されてこそあれ、不祥のことと退けられ、疎んじられ蔑まれるべきものでは断じてない。あまねく社会に蔓延している暴力と悪意の連鎖。それらに加担せず、自らに加えられた暴力や悪意を次の目標に向けることをしなければ、あるいはひきこもり、あるいは自らの身体を切り裂き、何らかのかたちでしか生き方を見出すことのできなかった人たち。彼ら彼女らの心の在りようは、世に氾濫しているそうした暴力の連鎖に加わらなかったという一点において、祝福されて然るべきであり、また多くの人たちがそこから学ぶべきなのだ。その心の在りようの、潔さを。これは、かつての自分、そして今の自分がその中のひとりであるというはっきりとした自覚を持ってそう言いたい。 暴力の連鎖はまた、不信の連鎖でもある。本人のことを本人に任せない。放っておくと何するかわからないから、ろくでもないことしかしないだろうから、いや、しないとも限らないからと、ルールを定め監視をし、一定以上の能力を身に付けろと追い立てる。繰り返し何度でも言うが、これは子どもたちだけのことでは決してない。お互いに常に監視しあい、「はみ出し者」を排除しようとする視線。すべてを管理・監督し、手の届く範囲で可能なかぎり他の人間を支配したがる人間の心理。自信や自己肯定感を自らの内に養おうとせずに、暴力の面で自分より弱い者に心無い言葉や直接的な暴力で、自らの優位性を示し傷ついたプライドを保とうとする心の弱さ。すべてが、今生きているすべての人に関っている問題だ。自分には無縁だと知らん顔を決め込む人、自らの問題だと自分自身の身を振り返ってみない人たちが、これらの問題の多くの原因を生み出し、犠牲者を生み、さらに彼ら彼女らを苦しめているのだ。 委ねる・任せる・信じるという気持ちは、人と向きあい、信じそして裏切られ、それでもなお信じたい気持ちを棄てきれない…そうした経験からしか養われないものなのかもしれない。ほんとうに信じるということは、根拠や証拠を求めずに信じるということだ。裏切られる可能性に腹をくくって、それを受け入れる覚悟をして、それでもなお信じたい、信じずにはいられない。そうでなければやはり、嘘だと思う。 たとえひとりでもいい、自分以外の誰かと真剣に向きあった経験が、オレにはどれだけあっただろうか?オレは彼/彼女を信じることができていただろうか?最近はどうだ?今のオレには、信じたい人、信じたいものごとがどれだけあるだろうか?深く考えてみたくなった。 ありのままの自分を差し出して、目をそらさずに他の人間と向きあってきた人は強い。水谷氏の講演を聴いて、そう強く深く感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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