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こんなモノにまでトレンドあるんだよねぇ…練炭の次は硫化水素か、自殺。こりゃ、かなり苦しいらしいよ…。でも、たぶんそれやる人は「苦しいからよい」思ってるんじゃないかな?思うと怖いよね。多くの人を巻き込む可能性のある硫化水素による自殺を選択してしまうのは、「死刑になりたいから人を殺す」のと同じ、自罰願望が隠れているようで不気味だ。
「死にたいけど、死ぬ理由がない。ないなら自分で作ってしまえ!」って、言い逃れできない状況を作り出して、それを自分が死ぬ「大義」に仕立てあげてしまう…。はじめに自罰=死ありきで、泥縄的に罪を犯し、そのせいで自らを死に致らしめる…。なんだかちぐはぐで、すごく身勝手な理屈だ。自ら死ぬ訳に窮した人にはうってつけなのかもしれないが…なんたって、「りゆう化水素」だからな。 自罰いうよりこの場合は、役他自罰なんだがな。「ほーら、こんな奴は死んだ方がいいでしょう?」と、皆に納得されて死にたいのか?アホらし…ゆうより怖いのは、自己の命の評価基準が、主観ではなく社会や全体から観た自己像の曖昧なイメージ(これもまた、不純な主観だが)に依存していること。 「空気読めよぉ…」っていう、全体の気分に同調することを強いる「和」と言う名前のファシズム…。空気読んで読んで読んで先読みし過ぎて、「こんな奴、いらないでしょ?」って、周りを巻き込んで死んじゃう硫化水素自殺、どっちも嫌だ。根っこの部分は一緒だからね。「空気読め」の発言も硫化水素も、根底には虐げられた主観とその歴史、その中で培われた怨みつらみが幾重にも層をなして存在する。その上、不本意にも屈してきた自己への忸怩たる思いなんかもないまぜになっているわけで、こりゃもう気持ち悪い!全体の調和によって自らが利益を受けると思う時にだけ、読んでりゃいいんだ空気なんてモノは。 全体の調和によって受ける自己の利益と、不調和によって生じる自己の不利益…。その辺のところに意識的でないと、「空気を読む」という行為は、自己決定権を無自覚に他者に譲り渡す愚行に堕してしまう。そして、全体の調和の為に自己の利益・願望を抑制することも、自己決定権に無自覚な故の行動と捉えなければならないだろう。 実際、「和をもって尊しとす」(この言葉、大嫌いなんだが)への曲解が、互いの損益の「差」を無くする為の「空気読めよ」の発言として発露しているのは皮肉なことだ。 こうした全体主義的な気風を支えるものとして、巷に溢れるランキング情報があるように思う。大嫌いなんだ、アレ。 売れてる○○ランキング、映画興行収益ランキング、果ては初デートの前の晩に気になったことランキング…etc,etc...。 毛嫌いしてるのもあって、ランキングと聞くだけでもう「だからナニ?」と思っちゃう。なんだろね、ありがちな傾向の寄せ集めなんだからさ、上位には「さもありなん」な予想可能なものばかり並ぶワケですよ。何がおもろいの?って。そうしたつまらん情報に、もっともらしく蘊蓄…とすら言えない解説くっつけて、何が楽しいんだぁw 結局皆、他人の顔色窺いたいだけのアホらし行動だよねぇ。他人からどう思われようが、どうでもいいじゃんか…少しでも思えんもんかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/04/26 07:22:32 PM
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