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マックの文弊録

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2006.07.29
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◇ 7月29日(土曜日):旧文月五日(己未)

阜に住む妹が今朝伯母の訃報を伝えてきた。父方の伯母である。
僕の父方のじいさんはお金を作っていた。といっても贋金ではなく、オカミの認めるれっきとした正規のお金である。
当時は大蔵省造幣局抄紙廠の官舎が、今樣に云えば東京都北区王子、滝野川のほとりにあったのだそうで、祖父母はそこに居を構えていた。伯母や父を含む八人姉弟妹は、滝野川のほとりで生まれ育ったのだ。

舎の敷地は滝野川の右岸、川縁に向けてなだらかに下る傾斜地にあって塀に囲まれ、川岸を走る街路に出口を開ける巾着のような形をしていた。敷地内に住む官僚の中では一番位が高かった祖父は、敷地の一番奥の高みに住まいを与えられていたそうである。他の役人の家々は中央の道沿いに、役所での身分に応じて順に並んでいた。
だから祖母が買い物に行くときは、敷地の中央の道に沿って部下の家々を通り抜けて街に出かけ、帰りは逆に坂を乗りながら、どん詰まりの自分達の住まいまで行き着く。

れでなくとも身分格差の激しい、しかも今から百年近くも前の官僚の世界である。エライ人のご内室がお買い物にいらっしゃるとなれば回りの注意を惹いたし、特に買い物篭を下げて帰宅する時は、部下の家々の買い物篭の中身への注視を浴びながらの道中だったのだ。
エライといったって官吏の給料だ。それに八人も子供が居るのである。祖母は贅沢を嫌う人だったから、いきおい買い物篭の中身は随分質素になる。そこに注目を浴びながら家まで帰り着くのは中々緊張するものだったらしい。時に「お荷物をお運びしましょうなどと部下の家から飛び出してこられると、随分困ったものだよ。」もう随分前に百歳で他界した祖母が、生前僕にそんな話をしてくれたのを覚えている。

母は八人姉弟妹の長女である。その所為もあって随分気位の高い人であった。
祖父は晩年(といっても40歳台か50歳台の始め)病を得て、その治療のために東京を出て最終的には岐阜に落ち着いた。一家も共に移動した所為で、吾が父方の親類は岐阜に多い。つまりは伯母も、もう80年以上は岐阜の人として生き、岐阜の人に嫁ぎ、岐阜で家族を為したのである。
しかし彼女は頑なに岐阜の言葉を拒否した。僕が最後に彼女に会ったのはもう随分前の事だが、無論その時には孫を何人も持つ身でいらした。そこで、「あたし、本当にこの辺の言葉には馴染まないのよねぇ。」と、涼やかにおっしゃったのを覚えている。あたかも、漱石の三四郎に出てくる美禰子のような物言いでいらした。伯母はその後もずっと、周辺を飛び交う「みゃぁみゃぁ言葉」の中でも、大正初期の東京の言葉をきっと頑として使い続けていらっしゃったろうと思う。

方の系統は男性は早死に、女性は長生きというパターンが顕著で、祖母を除き女性軍は健在であった。祖母だって百歳で亡くなったんだから大したものである。一方の男性軍は、祖父は僕の生まれる以前に既に幽明界を異にする「写真と物語の中の人」であったし、四人いた兄弟のうち現在存命の者は叔父一人である。その後を継ぐ男性の一人としてははなはだ心もとないのだが、それでも父は八十歳まで生きたのだから、僕だってまだすぐ死ぬわけでもなかろうと思う。

体仮名の名前を持つ伯母、旧文月四日歿。享年九十四歳。
合掌






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最終更新日  2006.07.29 16:28:24
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