カテゴリ:日ノ本は言霊の幸はう国
◇ 10月6日(火曜日) 旧八月十八日 癸未(きのえ さる) 先勝: 国際文通週間
【厚木憧憬】 - 承前 このところ厚木が気になっている。 街にはそれぞれの表情が有る。 それは公平や客観的な印象などではない。あくまでも僕の主観で捉えたものである。 そういう表情に基づいて、僕には好きな街、そうでもない街、何となくしっくり来ない街、くつろげる街、憧れる街などがある。 僕は岐阜県の南部、濃尾平野が南に向けて広がり始める岐阜市という街に生まれた。 青春時代の数年間を長野県中部の松本市で過ごし、血気に燃えた青年から今日までは、首都圏の特に西南部で活動している。今は埼玉県南部の所沢市に住み、仕事の場所は東京である。 岐阜市は生まれ育った土地でそれなりの愛着はあるが、街そのものとしては大した愛憎もない。幼児期から少年時代を過ごす土地は、自分の意識が急速に拡大していく中で、常に周辺に対する発見と否定が錯綜する場所であり、土地や人に対する愛憎こもごもが、やがて地縁という無色透明に近いものに昇華していくのであろう。 松本市を核とする安曇野一帯は、最初は単なる田舎町でしかなかった。松本はお城を中心とした観光地、北アルプス登山の入口、そしてリンゴや葡萄など高原農業の土地であるが、「亡命家の街」でもあった。暮らし始めて暫くして、土地元来の農耕文化に根ざした層と、東京から失意と共に亡命してきた芸術家、作家、学者の織り成す層が、松本と云う街と周辺の安曇野で重層的に絡まりあっていることを発見した。以来、付き合うほどに強い愛着を覚えている。 今では松本に程近い安曇野の一角に、温泉付きのコミュニティでも作り、気の合った友人達と終の棲家と成したいというほどに、その愛着は嵩じている。 所沢市はありきたりの東京のベッドタウンでしかない。しかし暫く前から狭山丘陵などに、意識して里山の自然も多く残され整備されるようになった。今では色々再発見をしつつあるが、やはり安曇野には及ばない。 東京は、・・・東京として一括りにするには大きすぎて、纏めては云えない。 王子の街は亡き父の縁の地でいささかの思い入れはある。飛鳥山や王子権現もある。王子の狐も未だ住んでいるような・・・。 本郷や千駄木、谷中、根津、神楽坂など尊敬する漱石など文豪に縁のある街は、坂の上り下りも楽しいし好きだ。神田や千代田区の、猥雑と格式がモザイクになっているような雰囲気も好きだ。それに較べて新宿や六本木界隈は嫌いだ。 さて本題の厚木は・・・、厚木は別に何の感興もない。 第一厚木などつい先ごろまでは、厚木ナイロンと米軍厚木基地くらいしか頭に無かった。 しかし、最近になって親しくお世話になっている方が厚木のご出身であったために急に身近な街になった。お付き合いで何度か厚木の街にもお邪魔したことがある。もっぱら小田急の本厚木駅とその周辺程度ではあるが、どうも何ともまとまりの無い街である。 岐阜市なら長良川と金華山、松本ならお城と浅間温泉と云うような、いわば「町のへそ」と云うべきものが厚木には無い。尤もこの点は所沢も同じであるけれど。 僕にとって街というものには、何か風景的或いは心理的な「へそ」が無いと落ち着かない。魅力も感じられない。そういう点では厚木にはお城も無い。厚木神社というのはあるが、街の名を冠した神社であるのに、お社も小さくみすぼらしく、相模川の土手縁にポンとあるばかりで、とても町のへそとしての趣は無い。 しかし、最近になって厚木には日本語の特異地帯というユニークな特徴があるらしいことを知った。 例えば厚木では「歩いて」を「歩って」と促音で言う。これは独り厚木だけでなく周辺でも同じようだが、厚木人はそれを標準語だとして譲らない。「大つごもり」は「大つもごり」だし、「おみやげ」は「おみあげ」、「しゃがむ」は「しゃごむ」である。 厚木人はこれを当然「標準語」であると、恬淡として疑わない。そも厚木人には「標準語」という概念自体が無いように見受けられる。これは名古屋人が味噌カツやきしめん、櫃まぶし、天むす、白たい焼きなどを名古屋独特のものではなく、当然の如く全国区の食べ物だとして疑わないのと共通する。 言葉の発音上の変形だけではない。厚木では「台風一過」は「台風一家」であり、「理不尽」は「理不純」である。それぞれは単なる誤解ではなく、聞いてみると中々の含蓄がある。僕のように教科書的な言葉の蓄積しか無いものからすれば、厚木人の言葉のセンスは時に新鮮ですらある。「眼からうろこ」ではなく、眼にサロメチールくらいの刺激はある。それは連綿とした歴史による方言と云うものでもない。さして知られてもいない土地で暮らす、或いはそこで生まれ育った厚木人の感覚や心持をそこはかとなく醸し出している。これはむしろ厚木語と云ってもいいものかもしれない。 件の厚木人の方から、折に触れて言葉を採譜していく内に、僕にとっての厚木は一種独特の存在感を主張するものになってきつつある。それは好きな街、そうでもない街、或いはなんとなくしっくり来ない街のいずれのカテゴリーにも属さない。厚木語という新鮮な言語表現を通じて「何となく気になって仕方が無い街」になりつつあるのである。 今後気が向いたときに、「厚木語」の一端を紹介していく。これは無論体系的な調査・研究などではない。採譜対象は極々限られている。(事実上一人しかいない)それに、ユニークな厚木語は、厚木人であっても気を緩めてくつろいだ状況下にないと自然には出てこない。緊張したり「よそ行き」の雰囲気の中では、厚木人といえどもNHKや文科省が日本人に強制した「標準語」を使ってしまうのである。 また、そうであるが故に採譜できる厚木語の語彙もなかなか思うようには増えない。そこで、今や気分的には準厚木人のような積りになりつつある僕自身が、日本語での言い回しについて「厚木語ではかくあるべし」と勝手に解釈したものも混じっている。 これは言葉を通じて、厚木という日本の何処にでもありそうな街の心象風景をさぐってみたいという、いわば余計なお節介である。 それでは、実は厚木人も良く知らない厚木と云う街はどんなところであろうか?少し厚木のことを勉強しておけば、親近感も増そうというものである。 《続く》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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