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マックの文弊録

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2010.02.01
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カテゴリ:小言こうべえ

☆ 2月1日(月曜日) 旧十二月十八日 壬午(みずのえ うま) 大安: 初午

秀吉が夢に出てきてこう云った。
「鳩山由紀夫殿は情報の収集が下手すぎる。あれでは、由紀夫殿の天下取りは半ばで潰えるぞよ。」と。

豊臣秀吉はその評価が色々変化してきたことで知られる。
江戸時代は、下層平民から天下人への大出世の主人公として、特に関西方面で庶民の英雄。
明治時代から戦前にかけては、朝鮮半島から大陸へわが国を進出させようとしたとして、軍神。
戦後は、一転して惣無事令、天下静謐など彼がやった(とされている)事績を採り上げて、平和の希求者。

歴史上の人物に対する評価が、時代や施政者の変化によって変わるのは常のことだ。時代が変われば、或いは歴史の研究が進めば、英雄が梟雄に、偉人が凡庸な無能者に、奉仕者が弾圧者にと評価が変わってしまうことは良くあることだ。

秀吉も例外では無い。今でも彼の事績や、その背後の意図には様々に異なる意見があるようだが、それでも秀吉が当時のライバルたちの中にあって、情報能力に格段に優れていたことだけは、様々な意見を持っている研究者のなかでも、一貫して共通の評価らしい。

秀吉の情報能力が際立って発揮されたのは、有名な「中国大返し」である。本能寺の変の確定情報を秀吉が入手したのは、本能寺の変のわずか一日半の後のこと。城攻めを解いて敵と講和し、京に駆け登るための情報だから、複数の別ルートでの補強情報までも入手し、情報の確度を充分に確信した上での筈だ。(そうでないと信長に斬り殺される。)

そして滞陣していた備中高松から京都までの235キロ余りを、1日半で取って返した。これは、昼夜ぶっとおしで移動したとしても、時速6.5キロものスピードに相当する。「ウォーキング」どころではない。むしろジョギングだ。しかも完全武装してのジョギングである。無論、馬や荷車、兵器、弾薬なども含めた大軍を率いての移動だから、いかに驚異的なスピードであったかと思う。
それに行く先々でいつ敵になるか分からないような連中がいる。「大返し」の途中でも、情勢探知や兵站や宿所の手配などに、迅速な情報収集や指示が不可欠であったろう。

この秀吉の(当時としては)常識外れのスピードによって、首尾よく信長を討ち果たしたものの、次の手を整備するために必須であった時間を奪われた光秀は、結局あえなく秀吉に破れ、天下は大きく秀吉の方に振れる事になった。光秀に必要であった時間は、当時の常識では、充分与えられて然るべきものであったにも拘わらず、である。

更に云えば、光秀が本能寺で信長を討つ決意をするに至るまでにも、秀吉の策謀が大きくあったようである。四国における親信長陣営の構築に際して、秀吉の推す三好氏が採用され、信長の四国政策が大転換したこと。それによって、それまで長宗我部氏を推してきた光秀の立場が急速に悪化したことなどは、秀吉の打った布石である。

又信長は既に、それまでの地付き大名の力を削ぎ、所謂「鉢植え大名」とすると共に、年功のある老重臣に替えて、近習や親族などの若手に、政権を支える重心を移す国家構想を明らかにしていた。つまり政権の若返りである。これも、織田家の筆頭重臣としての光秀の立場を脅かすものであった。

秀吉はこの辺でどうも信長政権自体の持つ脆弱性を見抜いたようだ。彼はこの機に乗じて、長期政権の想定当事者であり、また自らの仕えるべき主君としての信長を見限ったフシもある。そうなると、最初の仮想敵は光秀になる。

いずれにしても、秀吉は他の誰よりも情報の持つ意義や力を理解しており、ライバルより遥かに早く情報を入手し、或いは情報操作を出来る能力を持っていたのは確かなようだ。これは、秀吉がよく言われてきたように、「水呑み百姓の小せがれ」上がりではなく、方々を流浪して小商いをする行商人の出身である(という有力な説がある)からかもしれない。行商を通じて出来上がった人脈、そして当時の身分社会の枠から外れた場所に身を置くことで培われた、陋習や階層、伝統に囚われない、「外」からの現実的な視線が、秀吉の力の源泉になったかもしれない気がする。

勢力内の若返りや組織構造の変革による、自らに対する危機感。仮想敵に対する情報戦と策動。
こういったことは、戦国時代のことではなく、まるで今の自民党や官僚の世界の話をしているようだ。そうは思いませんか?

理念や理想を掲げる人は、暗い部分や胡乱な意見に対しては、とかく耳や目を塞ぐ傾向がある。塞がないまでも、そういったことに拘わる情報は軽視する傾向がある。理念や理想を奉じる人たちは、本質的に性善説である。そうでしょう?

このところ鳩山民主党政権はどうも段々分が悪い。
小沢さんは、先頃までは暗に「検察の策謀」を匂わせること、そして検察の事情聴取に応じ、正々堂々と真実を説明するというポーズで、上手く乗り切れるかもしれないというところもあった。しかし、最近出てきた、「沖縄の土地を投機目当てで買った」という疑惑に関しては、これはどうもいけない。事実かどうかは知らないが、投機ということ自体が、その真の意図を検証できない性質のものだから、一般の印象は非常に悪い。

政権自体も、財源の不足があからさまになってくるに連れ、マニフェストとのギャップが目立つようになってきた。様々な局面でマニフェストからの後退や、政策そのものの転換を余儀なくされるような事態になりつつある印象が強い。この辺は連日国会で俎板に乗せられ、かつての与党議員を中心に糞味噌に叩かれている。

もう一つ、例の事業仕訳の一件では、有識者や財界などから相当の批判を喰らった。財政難の中、今まで無批判無反省に費やされてきた国費による事業を洗い直し、止めるべきものは止める、削るべきところは削るというのは当たり前のことだ。しかもそれを密室ではなく、国民に公開の場で行い、透明性を維持するというのは、今までの政権に無い画期的なことであるし、志は全く正しい。

しかし、残念ながら結果として国民がこれに対してこぞって好印象を持ったとは云い難い。
特に、あの青山学院卒の元女性タレント議員が、「世界で一番である必要はどこにあるのですか!?」と黄色い声で詰め寄った光景は、いまや漫才やコントにまで取上げられている。(勿論、件のスーパーコンピュータ開発プロジェクトは、元々どうやっても世界一などにはなれなかったことは、後ではっきりしたが。しかし、そういう事は余り目立つように報道されないし、国民大衆も無関心である。)

また、科学関連の教育や研究・開発に係る事業予算が、やはり削減の対象になったことに関しては、ノーベル賞受賞者を始め、尊敬を集める識者からも猛反発や批判を喰らい、一般の心証を相当悪くしてしまった。

「吝嗇家の集団苛め」が、まじめに事業に取り組んできた人たちを火焙りにした。極論すればそんな印象を残してしまったのではないか?

これなど、減らす部分だけでなく、増額する部分もハイライトして、その点、その意義を高々と謳いあげる演出をして、国民の賛同と支援を頼むようにすれば、もう少しよい印象を残せたのではと思う。

日本人は判官贔屓なのだ。
若造議員やタレント議員に責められて、必死に応戦している姿を見せられれば、どうしても気持ちは応戦する側に傾いてしまう。

さて、民主党の、しかも政権の中枢を担うような人たちは優秀な方々だと思う。マニフェストをまとめる際においては、当然しかるべく情報を(主に関係官庁から)集め、これを分析検討して、その上に理想や理念を反映させて、あのようなものが出来たはずである。
それが、政権発足後わずか百日余りにして、その根拠である税収の低迷や埋蔵金の枯渇が深刻になってきたというのは何故だろう?彼らが馬鹿だったとは思い難い。

これは、理想・理念に燃え、根本的には性善説である彼らが、官僚・旧与党の勢力によって、情報操作をされたとは言えないだろうか?

民主党は野党の時代から脱官僚を公言してきている。
だから官僚の側からすれば自らの基盤を危うくする仮想敵だとの認識は早くからあったはずだ。それが昨年の選挙で与党になることが確実になった段階で、官僚の対民主党戦略が練られ、それが発動されたのではないか?そして、選挙の結果が自民党の野党化を決したことによって、官僚勢力に自民党が加わった。

自民党は野に下れば、数多くの権利や利権から外れなければならない。起死回生を果たすには今年の夏の参議院選がチャンスである。ここで議席数を増やすことに腐心しなければならない。そのためには、党首を若返らせ、集票力に限界がある長老議員にも引退願わなければならない。

従って、国会の場では自民党が、行政の場では官僚機構がそれぞれの役割を担うことによって、民主党内閣の信用を失墜させ、先ず参議院選挙で勝利し、結果としてアンシャンレジームを復活させる。そういう構図があるのでは無いだろうか?

民主党がマニフェストを準備する過程において、官僚側は今日斯くあることを想定して、マニフェストの根拠となる情報の提供に操作を行ったのではないか?
とはいえ、流石に虚偽の情報を出すことはしなかったろう。そうではなく、いわば「情報提供の不作為」とでもいうことであったろう。
つまり、嘘は言わない、然し聞かれなかったことは言わない。とか、データはありのまま提供する。しかし、データの意味するところ。プロの官僚としての見解。他のデータとの関係で示唆される可能性。そういったことは、自らはご注進に及ばない。不作為とはそういうことである。

こういうことであったとすれば、マニフェストは早晩破綻する運命が予め用意されていたことになるのだ。自民党はそれを糾弾するタイミングだけを待っていれば良い。

それと、民主党政権になれば、民主党内閣は行政府のトップであるから、官僚批判は自らできなくなる。それはとりもなおさず自らの指揮能力や掌握力の不足を露呈するものであり、自分で自分の足下を非難することになってしまうからである。

余りに歪んだ考え方だと非難されるかもしれないけれど、繰返すが日本の官僚制度は世界に冠たる優秀なものである。特にキャリアと呼ばれる、その指導階層は同世代のコンマ数パーセント以下も居ないほどの頭脳優秀な人材である。自らの存在基盤が危うくなりそうな事態に直面すれば、それこそ我々などには想像もできない高等戦術を案出し実行できるはずだ。

こうなると、官僚・自民党連合は秀吉であり、民主党は光秀という事にでもなろうか。
明智光秀は、梟雄入り乱れる戦国の混乱を糺し、足利義昭将軍を奉じた旧秩序への復古を理想としていた。そして、彼の理念は忠義であった。つまり民主党の人たちとは異なる立場とはいえ、理念と理想、そして義を重んじるところがあった。

逆に言えばそこが弱かった。
光秀は信長を討つにあたって、義昭を信じ、近衛前久を信じ、上杉氏を頼み、毛利氏も頼もうとした。然し、結果として光秀は秀吉に対して情報能力という面で完敗したのである。

そうなると、民主党政権も「三日天下」になってしまうのだろうか?
秀吉は、今のような状況を見るに見かねて私の夢に出てきたのであろうか?
もう一度彼が夢に出てきたら、「あなただったら、こういう時にはどうした?」と聞いてみたい気がするのだ。





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最終更新日  2010.02.02 17:55:18
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