カテゴリ:そこいらの自然
☆ 4月28日(水曜日) 旧三月十五日 戊申(つちのえ さる) 大安: 望
大哺乳類展に行ってきた。 巨大なアフリカゾウと小指の先ほどのトガリネズミ骨格が、頚椎の骨の数は7個と同じである、というのに感動した。様々な動物の剥製を観ていると、良く似た知人や友人を思い出して、都度ニヤリとしていた。それやこれやで都合4時間ほども楽しんでしまった。 哺乳類は約1億6千万年前に地球上に登場した。最初の哺乳類は夜行性の小動物で、当時全盛だった恐竜の目を逃れて森や林の奥で暮らしていたと考えられていた。しかし最近では、自由闊達とは行かなかったまでも、当時から陸だけではなく空や海でも哺乳類が暮らしていたといわれている。 今回は哺乳類の中でも陸上動物がテーマだった。(7月13日からは、同じ場所で海棲哺乳類の展示が行われる。)だから、彼らは遠い昔に、海から陸に上がってきた動物の子孫ということになる。 母なる海は生命にとっての揺籃であり、居心地も良かったろう。我々の体の中にも未だに海の名残や、潮の満ち干の影響が残っている。そういう「パラダイス」から陸上に上がってくるには、よほど強い動機があったに違いない。以前からそう思っていたけれど、それはどうもオゾン層に関係しているらしい。これは初めて知った。 地球の歴史は約45億年前にまで遡ることができる。その後10数億年ほどの時間が経過して、約30億年前には、光合成をするラン藻類が現れた。光合成とは、具体的には太陽の光と二酸化炭素、それに水を利用して炭水化物を合成することを言う。 当時の地球の大気は火山活動などによる二酸化炭素ガス(CO2)が主成分であった。生命は海の中にしかいなかった。ラン藻類による光合成も海の中での話である。 ラン藻類は海水に溶け込んだ二酸化炭素ガス(CO2)と海水(H2O)を利用し、水面下まで届く太陽光の力を借りて光合成を行った。その結果炭水化物(グルコースC6H12O6)と酸素分子(O2)が作られ、余剰物質である酸素分子は大気中に放出された。 その酸素の一部が紫外線の影響を受けてオゾン(O3)として大気中に蓄積されるようになった。オゾンは刺激臭のある気体で、生き物には猛毒である。 放出された酸素分子は紫外線の中の242ナノメートル以下の波長成分を吸収して、酸素原子に光解離される。この酸素原子が酸素分子と結びついてオゾンとなる。(O+O2→O3) 同時に、生成されたオゾンは320ナノメートル以下の波長成分を持つ紫外線を吸収し、酸素分子と酸素原子に分解される(O3→O2+O)。つまり、酸素とオゾンは共に紫外線を吸収する性質があるのだ。 当時の大気中には紫外線を吸収する物質が無かったため、地上には直に強い紫外線が降り注いでいたが、ラン藻類の光合成が活発化して酸素濃度が上昇するとオゾンが増えて、地表面に降り注ぐ紫外線の量は急速に減少した。そうすると上記の反応は、それまでより高空で起こることになる。こうしてオゾンが作られる場所も高空に上昇して行った。それが成層圏に達して、オゾン層を形成することになった。 紫外線は殺菌灯として利用されているように、生物にとって有害である。人間にとっては日焼けの原因になり、ひどくなると肌に炎症を起こさせるし、皮膚癌や白内障などの原因にもなる。 つまり、オゾンは生き物にとっては強い有毒物質であると同時に、生き物に有害な紫外線を防ぐという二つの面を持っているのだ。 従ってオゾンが地表近くに留まっていては、生き物が上陸して適応放散するなど起こらなかった。しかし、先に述べたようにオゾンがオゾン層としてはるか高空に形成された事で、生き物は毒性なしに紫外線を遮断してくれる、ありがたいスクリーンを手に入れることが出来たのである。 そのお陰で、海中の植物は上陸し、動物も揺籃の海を離れて陸上に上がってきた(両生類)。約4億年前の事だ。 現在でも動物プランクトンには、昼間は海中に沈み、夜になると海面近くに浮上してくるものが多いそうだ。これは、昔紫外線から逃れていた名残だとも云われている。 35億年にわたって陸上生物の母であり保護者であったオゾン層は、大昔の生き物によって作られたのである。生命の力は偉大ではないか。 こうして出来たオゾン層は、生き物のために紫外線のフィルターとして働くだけではない。 オゾン層は、紫外線のエネルギーを吸収し成層圏の大気を暖めることで、地球上の気候の形成にも大きく関わっている。南極に端を発する海洋深層水の大循環にも関係することで、やはり地球全体の気候の安定にも、更には海洋生物の生態系にも大きく関わっていることが分かってきたそうだ。 その地球と生物の、永年にわたる相互作用の賜物であるオゾン層に、急激で深刻な影響を与えたのが人間の所業だ。つまりフロンガスに代表されるオゾン層破壊物質である。 フロンは、1930年にGMとデュポンから商品化された。無色、無臭で化学的にも熱的にも安定し、低腐食性、低毒性、無引火性という優れた性質を持っているフロンは「夢の物質」として持てはやされ、実に様々な分野で使用された。クーラーやフリーザーなど冷房・冷蔵・冷凍用の冷媒、電機・電子部品やプリント基板の洗浄剤、断熱材の発泡剤、スプレーの噴射ガス、フッ素樹脂原料などに盛んに利用された。私もヘアスプレーやライターのガスボンベに「フロンガス」と表示されていたのを覚えている。 GMもデュポンもフロンの開発によって莫大な利益を上げた筈だが、「夢の物質」が一転、オゾン層を破壊する元凶と名指され、環境有害物質となってしまったわけだ。人間の叡智というけれど、それは常に近視眼であって、地球や自然の全視野からすると所詮は浅知恵である。 人間の浅知恵は生き物の片割れとしてやむをえない事だし、それをダメだと否定し去ることは出来ない。「浅知恵」を否定すれば、過去の歴史も否定しなければいけないし、今後の人間の将来も有り得ない。 大事なことは我々が常に「浅知恵」であることを、常に意識し続けることだと思う。そして浅知恵と分かればすぐに(「すぐに」である)撤回し、対策をとるべきなのだ。その対策も又新たな「浅知恵」であるだろう。それも又しょうがない。又すぐに撤回し、又知恵を絞る。その繰り返しなのだ。 因みに1930年にフロンガスが発売され、それがオゾン層に有害だと云われ始めたのが1970年代。モントリオール議定書で製造及び輸入が禁止されたのが1987年。日本では1996年までにフロンの使用は全廃された。 つまり、有害だと分かってからモントリオール議定書まで10数年。日本で使用が停止されるまでに20数年かかっている。これではとても「すぐに」には程遠い。モントリオール議定書では先進国でのフロンの使用は禁止したが、開発途上国での使用はまだ認められており、この点でも「すぐに」には程遠い。 ところで、オゾンはヒドロキシラジカル、一酸化窒素、塩素原子などの存在によって分解される。これらのプロセスは自然にも発生するものであり、オゾンの生成と分解のバランスは保たれてきた。 それがフロンなど、塩素を含む化学物質が大気中に排出されたことで、成層圏で塩素原子が増加し、オゾン層の破壊が進んだ。塩素原子は、たった1つでオゾン分子約10万個を連鎖的に分解してしまう。しかも塩素自身は化学変化の後に再び塩素原子として戻ってくる。だから、絶対量として少量でも、塩素はオゾン層に甚大な被害をもたらしたのである。 この結果、成層圏中にオゾン濃度が極端に低くなった部分が出来、これがオゾンホールと呼ばれたのだ。 幸いにして、20世紀末以来拡大し続けていた南極上空のオゾンホールは2050年頃に消失するとの予測結果が報じられている。国立環境研究所のグループが発表したものだ(2006年5月20日)。但し、これは現在の規制がそのまま継続され、予測するにあたって採用された仮定が正しいことを前提にしての話である。 又一昨年には、アメリカ海洋大気局が、亜酸化窒素(N2O)が、現時点でオゾン層を最も破壊する物質であると発表した。亜酸化窒素は窒素酸化物の一種で、吸入すると顔が笑ったように引きつることから笑気ガスとも呼ばれ、歯科治療の鎮静用や、手術の際の麻酔用に広く使用されている。肥料を使用した際や、化学物質(硝酸など)の製造の過程でも発生するそうだ。又新たな心配である。 我々は良く「安定」という言葉を使うがこの安定は一つではない。 今、自由に曲げられる薄いプラスティックで出来た平面があると想像する。この平面に例えばパチンコ玉を置いてみる。そこでのパチンコ玉の「安定」には次の3つの場合がある。 (1) 凸凹や屈曲の無い完全な平面では、パチンコ玉は一所に留まり「安定」する。但しちょっとでも力が加わると、パチンコ玉は何処まででも動いて行ってしまう。 (2) 平面に割り箸のようなものを突き立てて押すと窪みが出来る。割り箸は先が丸い、角の無いものが良い。この窪みにパチンコ玉が有ると常に穴の底に留まり「安定」する。他から力が加わって少しばかり動いたとしても、直ぐに穴の底に戻る。 (3) 今度は平面の裏側から先ほどの割り箸で富士山のような出っ張りを作る。この出っ張りの頂に、慎重に慎重にパチンコ玉を乗せると、この時もパチンコ玉は「安定」する。但し今度はパチンコ玉に少しでも外からの力が加わると、パチンコ玉は俄かに「安定」を失い、坂を転げ落ちる。 自然や生き物の間のバランスは、言ってみれば上の(3)の「安定」を保っているのだ。だからちょっとしたことで「安定」が崩れると、加速度的に変化が生じる。 我々は「天気はこのところ安定しています」とか、「佐渡の鴇の状況は最近安定しています」とか聞くと、とかく上の(2)の「安定」だと思い込んでしまうがそれは余りに楽観的過ぎるのだ。 しかし自然界や生物界の安定は、(3)の安定であっても少しの余裕はありそうだ。例えてみれば(3)の出っ張りの頂も数学的な一点ではなく小さな広がりが有り、パチンコ玉のほうも数学的に完全な曲面ではなく、極細かく分割された多面体であるように私には思える。 楽観的かもしれないが、自然にも生き物にもある程度の「復元力」があるように思える。そして、その両者は少なくとも地球上では相互に影響しあっているのだ。ちょうどオゾン層と生き物の関係のように。 大哺乳類展に展示されていた動物たちは、こうしてみればそれぞれの歴史に壮大なドラマを秘めているのだ。そのドラマは壮大なだけではなく、同時に実に繊細なドラマでもある。こういう知的触発を与えてくれるのだから、入館料の1400円は本当に廉いと思える。 因みに、会場にはジャイアントパンダの骨格も展示されており、その前腕の先には、以前遠藤秀樹先生の「パンダの死体はよみがえる」 (筑摩書房新書)に書かれていた、「パンダの親指」をしっかり我が目で確認することも出来たのである。これも、我が友人に似たバブーンの剥製に出会ったことと共に嬉しかったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.04.28 19:46:02
コメント(0) | コメントを書く
[そこいらの自然] カテゴリの最新記事
|