カテゴリ:そこいらの自然
☆ 5月5日(水曜日) 旧三月二十二日 乙卯(きのと う) 大安: 子供の日、 立夏
「子供の日」は、元々は男の子のお祭りだったはずなのに、いつのまにか女権の伸長(?)の所為で、男が外されて、男女を問わず子供全部の日になってしまった。三月三日は相変わらず女の子だけのお祭りなのに、ずるい。 ま、しかし、ひな祭りは祝日にはなっていないから、男の子の成れの果てとしてはその辺に多少の自慢を残しておくべきか。 この日には菖蒲湯をたてたり、ちまきや柏餅を食べたりする。庭先には鯉のぼりが竿の先にはためき、遠くの富士山を望んで、兄弟で背比べをした・・・というのは、もう随分以前の日本の光景になってしまった。 「せいくらべ」や「こいのぼり」と並んで、この季節に口ずさんだのは「夏は来ぬ」である。この歌は明治29年(1896年)に「教育唱歌」として作られたと言うから、その歴史は随分古い。大抵の大人はこの歌の一番はそらんじていると思うが、「夏は来ぬ」は全部で五番まである。ここにその全曲の歌詞を掲げておく。 (一) 卯の花の匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ (二) さみだれの注ぐ山田に 早乙女が裳裾濡らして 玉苗植うる 夏は来ぬ (三) 橘の薫る軒端に 窓近く蛍飛び交い おこたり諌むる 夏は来ぬ (四) 楝(オウチ)散る川辺の宿の 門遠く水鶏(クイナ)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ (五) 五月闇蛍飛び交い 水鶏鳴き 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ 各々今頃、初夏の情景を描いて、「窓近く蛍飛び交い」など、遥かに懐かしい気持ちがしてくる。しかし流石に百年以上前の歌なので、分かりにくい言葉も多い。「時鳥」は「ホトトギス」、「裳裾」は「モスソ」、「水鶏」は「クイナ」くらいは何とか読めるが、「楝」(オウチ)は読めなかったし、何のことか分からなかった。 これは「オウチ」とか「アフチ」とか云う名のセンダン科の植物。今頃薄紫の花を咲かせる落葉高木で、その実は虫下しとして使われたのだそうだ。私自身はまだこの花の実物にはお目にかかったことが無い。 明治の頃には唱歌に取り上げられるほどだから、極普通に里の近くに観られた木なのだろうか? 因みにセンダン科といっても、「栴檀は双葉より芳し」の栴檀とは違う、双葉の頃から芳しい栴檀は中国名称で白檀のことなのだそうだ。 さて、卯の花だが、これはウツギ(空木)という植物に咲く花のことだ。空木は枝の芯が中空になっているのでこういう名が付いたのだそうだ。ウツギはアジサイの仲間で随分種類が多いようだが、一般にはヒメウツギと呼ばれる、真っ白な花を咲かせる種類が好んで庭先などに植えられる。 大豆から豆乳を絞った「滓」である「おから」の事をやはり卯の花というが、これはその色が真っ白でウツギの花に似ているところから、「おから」=「空っぽ」という音の連想を嫌って付けられた「ご婦人言葉」だそうだ。江戸時代以前の上流(或いは上流を気取った)女性は、食べ物の名前を下品なものとして嫌い、なるべく口の端に乗せないようにしていた。どうしても云わなければならない時には、婉曲で上品めいた名前に言い換えた。カブラは「カブ」に、ナスビは「ナス」に、田楽は「おでん」に、サツマイモは「オサツ」というように。 さてウツギの花である。 先日代々木のNHKの傍を通ったら、NHKホールを囲む生垣の一部に、この卯の花が花盛りになっていた。ところが近寄って鼻を近づけてみたが一向に匂いがしない。微かな匂いもないのである。そうすると歌の冒頭の「卯の花の匂う垣根」とはどういうことなんだろう。これではあの歌詞は嘘になる。 ひょっとしたら歌の中の卯の花とは「おからの煮物」なのかもしれない。おからにヒジキや、竹輪や人参油揚げなどを細かく刻んだものを合わせて薄味で作る煮物もやはり「卯の花」と呼び、これには食欲をそそる良い匂いがある。母が作ってくれた卯の花を思い出す。 立夏の頃、通りすがりの家の垣根越しに、卯の花を煮る良い匂いがしてきた。「夏は来ぬ」の情景は本当はそういうものだったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.07 18:46:51
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