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マックの文弊録

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2010.05.20
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カテゴリ:よもやま話
☆ 5月20日(木曜日) 旧四月七日 庚午(かのえ うま) 仏滅:

最近面白い話に出会った。
人類がこれだけ地球上に繁栄するきっかけになったのは、おばあさんのお蔭だというのだ。
これは「おばあさん仮説」といって、人類学者の長谷川眞理子という先生がおっしゃっている。

人類の源流は今から700万年前にまで遡れる。これは人や霊長類の祖先が他の生き物から分離して独自の進化を始めた時期だ。
我々、現生人類に直結する祖先は今からおよそ十数万年前に出現したそうだ。所謂ホモ・サピエンス・サピエンスである。その頃、人類としてはもう一つの種族がいた。所謂ネアンデルタール人である。

我々の祖先とネアンデルタール人は、ほぼ同時期に共存していたらしい。共存といっても、交流とか交配があったわけではない。相互に偶然遭遇したりすることはあったはずだが、その場合にも何となくお互い敬遠しあう感じで納まっていたようだ。今の時代なら、直ぐ殺し合いになったりするのだろうが、交流も無い代わりに戦争も無かったようだ。

ところが、ネアンデルタール人は徐々に衰退し、今から数万年前に最後の一人が死亡し、絶滅した。一方のわれらが祖先は、絶滅するどころかどんどん増え続け、発祥の地であるアフリカからヨーロッパやアジア地区に広がり、やがてアメリカ大陸やオーストラリアなど全世界に住み着いて増え続けた。

数万年前のわれらの祖先たちの人口は、数千人とも数万人とも言われる。それが今では地球上に約70億人にまで増えてしまった。

その理由が、おばあさんだというのである。
高等動物でおばあさんがいるのは、我々現生人類だけだそうだ。
この場合おばあさんというのは、閉経期を過ぎた女性のことである。平たく言えば子供を産まなくなった女性だ。

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」にも似たようなことが書かれているが、生き物の使命は遺伝子をシャッフルして後世に引き継ぐことにある。そこには理念だの情愛などといった、高邁でウェットなものなど無い。
従って、雄であれ雌であれ、生殖能力がある間しか生存価値は無い。少なくとも遺伝子の側から言えばそうである。だからそういう環境には(おじいさんは無論だが)おばあさんなんかは不要なのである。

実際、類人猿にも、他の哺乳類にもおばあさんの存在は認められないのだそうだ。自然とはドライなものである。「母なる自然」といっても、それは文字通り母止まりで、祖母などはないのだ。

ライオンなどは、一族で暮らしているのが観察されているが、一族の中の雌は伯母・叔母や姉妹の関係にあるものばかりで祖母はいない(とっくに亡くなっているか群れを放逐されている)のだ。

女性(雌)にとっては、出産と育児とは重大な使命であり、大変な重労働である。何しろ受け継いだDNAを次の世代に子供という形で残さなければならない。だから、妊娠期間はもとより、授乳・育児期間は発情しない。

再びライオンの話になるが、ライオンの雄はこれまた、自分のDNAを遺さねばならない使命があるから、既存の群れに忍び寄って雌を略奪しようとする。群れを統べる雄は自らのDNAを宿した雌や子供たちを守らなければ無いという、これまた天与の使命があるから、往々にして雄同士のすさまじい戦いが起こる。その結果群れ雄が勝てば群れは元の鞘に納まるが、若し外来の雄が勝った場合には勝者の雄ライオンは群れの子供を悉く殺してしまう。これは残虐などという意識によるものではない。ひたすら自らのDNAの指令に基づくものなのだ。雄は他の雄の遺伝子なんかではなく、自らのDNAを残す使命があるのであり、子供を殺された雌は、再び発情し受胎できるようになるからだ。

現生人類は、今から十数万年前に何らかの形で、発情、生殖、育児に関わるDNAに変異が起こったようである。その結果、おばあさんが誕生した。つまり閉経後の女性も同じ群れの中で生存するようになり、娘の子供たちの育児を担当するようになった。
こうなると、女性は出産後の育児という重労働から解放されるようになり、出産から再び受胎可能になるまでの期間が短くなった。実際現生人類の女性には限定された発情期などは見られない。

これにより、現生人類の人口が急増することになったのだ。と、いうのが長谷川先生の「おばあさん仮説」である。

ネアンデルタール人は、相変わらず旧態依然のままに留まったため、静かに衰退の途を辿り、やがてひっそりと絶滅したのだそうだ。

・・・なるほどねぇ。
そうだとすると、現代のように核家族化してしまった世界ではどうなんだろう。確かに一昔前までは、子供が生まれると、同居するか直ぐ近所に住んでいるのが当たり前だったおばあさんは(時におじいさんも)嬉々として孫の世話にあたるのが普通だった。しかし、現代は祖父母の家は、連休や盆正月に一時帰省する場所でしかなく、孫の育児などにはほとんど関わらない。おじいさんやおばあさんも、二人だけで温泉などに出かけて、老後を我が世の春と楽しみ、孫の育児など殆ど眼中に無いだろう。

おばあさん仮説が正しいとすると、この頃の少子化傾向は必然的な帰結である。若しこれを解決しようとするなら、政府の力で二世代同居を推進する必要があるだろう。そうでなければ、人口は漸減の傾向を辿り、やがて少子高齢の平衡状態に落ち着かざるを得ないだろう。

このへん、我々の利己的遺伝子たちは、どう考えているのだろうか?
切歯扼腕しているのか、或いは「まぁ、今まで少しやり過ぎてしまったし、この辺でしょうがないな。」と諦めているのだろうか。





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最終更新日  2010.05.21 15:35:29
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