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マックの文弊録

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2011.11.07
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カテゴリ:よもやま話
【11月7日(月曜日) 旧十月十二日 丙寅 先負口 月齢11.2】

私には財布の中の小銭の持ち方に、ルールがある。
硬貨は、一つ上位の硬貨の価額以上に持たない、というものだ。
つまり一円玉は4枚まで、五円玉なら1枚、十円玉なら4枚まで・・・を小銭入れの中で存在を許しているのだ。
五百円玉は2枚あっても、まぁ許せるが、それでも3枚になると何となく心が落ち着かなくなる。

最近はスーパーやコンビニでは内税になっていて、レジでチェックアウトの時に端数を見て、例えば○△27円と出ると、そのまま小銭入れの中から出せれば良し。無ければ32円と出して五円玉のお釣りを貰う。
十円玉が足りなければ、52円とか102円とか、その時は小銭入れの中身に応じて臨機応変に対処する。いずれにしても上記のルールに合致させておくのが条件なのだ。

書籍の表示値段はおしなべて外税なので、何冊か一度に買った際には、合計金額を暗算して1.05を乗じる。それから小銭入れの中身を見て、上記のルールに従って「小銭の支払い方作戦」を立てる。

作戦はレジで自分の順番が来るまでに完遂させるのがノルマだから、時に中々頭を使う。動作も素早くなければならない。
一連の過程が円滑に流れるように進んで、小銭入れの中が従前よりすっきりすれば、それで結構良い気分になれる。逆に、もたもたして、レジのお兄ちゃん(お姉ちゃんやオバさんの時もある)を待たせることになったり、一円玉が小銭入れの奥に隠れていて、結果的に上のルールを完遂できなかったりすると不愉快になる。

最悪なのは、折角上の作戦で臨んだのに、「細かくなって済みません」などと、このルールをレジのお兄ちゃん(お姉ちゃんやオバさんの場合もある)によって崩された時だ。こういう店には暫く行きたくなくなるし、行っても同じレジは避ける。

今まで記憶にある限り、同じルールを踏襲してきたが、最近では「ボケ防止対策」としても意識している。

現在日本では6種類の硬貨が発行されている。
五百円玉と百円玉は、小銭入れの中でも別格に見える。五十円玉は何となく中途半端で小賢しい。五円玉は強いアイデンティティに欠けるし、一円玉は如何にも群れたがっている下っ端という感じだ。
その点十円玉は、硬貨としての使命を一身に担って、営々とその責務を果たしている雰囲気がある。あの赤銅色(本当は材料名は青銅というらしいが)に、「エライ!」と声をかけてやりたくなる。

十円玉(1)その十円玉は今年還暦だそうだ。
十円玉は1951年(昭和26年)に、初めて発行されたのだ。あの、リボンで結わえた木の枝が「10」の文字を抱いていて、裏には宇治の平等院、というデザインは以来今日まで変わっていない。(因みに、法律上では硬貨のどちらが裏か表かは規定されていないそうだ。)あの枝は月桂樹のようにも見える。大蔵省によれば、「常盤木」だそうだ。常盤木といっても、そういう樹木が特定の種としてあるのではなく、常緑広葉樹の一般名称だから、月桂樹でも常盤木だともいえる。

この十円玉、発行当初はふちにギザギザがあって、「ギザ十」と呼ばれた。
当時の大蔵省には、高額の補助貨幣(硬貨は紙幣に対して補助貨幣と呼ばれる)には、ふちにギザギザを入れるという慣わしがあったためだ。
やがて、1959年(昭和34年)になると、ギザ十は製造されなくなり、ギザギザの無い現行のものになった。高度経済成長の勢いの中で、十円玉の価値も低下したせいなのだろう。

十円玉(2)私が4歳の年に生まれた十円玉は、12歳の年にギザ無しになった。
小学校に上がって貰えるようになった私のお小遣いは確か「週給制」で、毎年お正月に「昇給」していったが、主役は十円玉であった。「買い食い」を許さぬ親の方針のせいで、中々自分で買い物をするチャンスが無かったが、悪友と親の目を盗んでする買い物でも、十円玉が活躍していた。駄菓子屋などで費やす十円玉には、子供の欲求を満たすに足る充分な価値があったように思う。

その十円玉が還暦。
そう思うとお互いの来し方に感慨も募る。赤い座布団でも有れば、その上に十円玉を乗せて祝ってやりたい気もしてくるのだ。

尚、折角の還暦だから十円玉を綺麗にしてやりたいという気にもなる。
これは、色々なテクニックがあるらしく、中にはガスコンロの火で焼いて、赤熱したままの十円玉をウォッカに浸すというのもある。
原理的には、十円玉の表面の酸化銅を還元するか、或いは酸化銅の皮膜を剥離してやれば良い。しかし、どんなやり方であれ、硬貨を傷つけることに変わりないので、貨幣等損傷取締法に触れる犯罪ということになるので、ご注意の程。


【おまけ】日本の戦後の硬貨と年齢。
五百円玉は1982年(昭和57年)の発行。発行当時は世界で有数の高額硬貨として話題になった。最初は白銅製だったが、2000年(平成12年)ニッケル黄銅製になった。
当年とって29歳。

百円玉は、1957年(昭和32年)発行。最初は銀貨で、鳳凰のデザインだったが、1959年(昭和34年)現行の稲穂のデザインになった。1967年(昭和42年)現行の白銅製に変わった。
当年とって57歳。

五十円玉は、1955年(昭和30年)発行。最初は穴なしのニッケル製。1959年(昭和34年)に穴有りとなり、1967年(昭和42年)に現行の直径21mmと小さくなり、穴有り白銅製になった。
当年とって56歳。

五円玉は、1948年(昭和23年)穴無し黄銅製で発行。当時のデザインは国会議事堂だった、1949年(昭和24年)穴あきに変更。同時にデザインも現行の稲穂と歯車と水面になった。1959年(昭和34年)硬貨の字体が楷書からゴシック体に変更され、「日本國」も「日本国」に改められた。
わが国の現行通貨では唯一、数字が漢数字のみで表記されていて、外国人を時々混乱させる。
又海外では穴あき硬貨は珍しいため、よく五円玉を日本土産に持って帰る旅行者も多い。
当年とって63歳。

一円玉は、1948年(昭和23年)に、黄銅製の硬貨として発行されたが、戦後の金属不足で鋳潰されてしまう心配があったため、1955年(昭和30年)現行のアルミニウム製に変更。最初の黄銅製硬貨は1953年(昭和28年)末に使用できなくなった。従って1955年のアルミ製の一円玉が発行されるまでの約2年間、日本には一円玉が存在しない時期があった。
当年とって56歳。(現行のアルミ製)
尚、硬貨仲間では、一円玉だけが「一円玉の旅がらす」という歌になっている。





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最終更新日  2011.11.07 15:22:23
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