madamkaseのトルコ行進曲

2016/07/23(土)14:49

寝耳に水、トルコでクーデター勃発 !! 

トルコと日本と世界の出来事(87)

【7月15日・金曜日】  今日午後8時過ぎ、ジャンダルマ(トルコ憲兵隊)の一隊が二手に分かれて、イスタンブールをアジア側とヨーロッパ側に隔てるボスポラス海峡にかかる二つの巨大な吊り橋のアジア側入り口に集結し、午後10時過ぎには完全に入り口を封鎖したらしい。この両大橋を占拠したことがクーデターの幕開けだった。  時を同じくして、首都アンカラでもゲネル・クルマイ・バシュカンルーウ(トルコ軍参謀本部)の前の交差点で、兵隊が交通を遮断した模様である。また、アタテュルク空港にも、続々と軍隊のタンクが集結してきているとのことである。  前の晩、日本の朝のラジオ番組に出演するためほとんど寝ていなかった私は、今夜こそ早目に寝ようと9時にはテレビも消し、台所を片付けていたとき、友人の電話で、「加瀬さん、橋が大変なことになっています、すぐにテレビのニュース・チャンネルを見て下さい!」と言われ、慌ててまたサロンに戻ってまずはCNN Turkをつけてみたのだった。  そこには信じられないような光景が写しだされていた。  初めて見る、クーデターと言うものの発端の生中継だったのである。   ボアズ大橋のアジア側入り口を封鎖した反乱軍の兵士達。ヨーロッパ側に向かう車を通しません。   メトロビュスも、一般車両も止められたまま、人々は何事が起ったのか理解出来ずにいます。  固唾をのんで画面を見守っていたが、そうだ、またまたトルコの一大事、日本にいる娘のところに知らせてやろう、と携帯を取り上げた。日本の時刻はまだ5時前だが、娘はすぐに目覚めたのか、一度のコールで電話を取り上げたので「イスタンブールがいま、たいへんなことになっている。これこれしかじか・・・」と説明した。  それからテレビ画面から10枚前後の写真を写し、パソコンに取り込んでそれを縮小したあと、メールで送信した。私にはスマホがないからそういう手順を取るしかないのだが、娘も深くトルコに関わっている人間なので、クーデター計画が実行に移されたと知ると息を飲んだ。  そのまま電話でしばらく話しこんでしまった。私はいくら寝不足でも、この事件がどのような進展をするのか気になって、もう寝る気はなくなった。そのうちに、国営放送TRT HABER(ニュース)のスタジオで、放送中の女性アナウンサーが踏みこんで来た大勢の兵隊に取り囲まれて、彼らの声明文を読み上げさせられた。   ティジェン・カラシュ(Tijen Karaş)さんは41歳、アナウンサー経験も20年近い キャリアの持ち主、後ろ手に縛られて脅されたあととは思えない平静な態度でした。    声明文は「この国の政治指導者達が職権乱用、不正をしていることを糾弾し、我々は世の中を正しい方向に改革するため、彼ら(指導者達)に手を掛けたのである。政権はすでに我々が掌握した。」というようなものだった。  続いて戒厳令、市民には外出禁止令が出された。だが国営放送局を乗っ取って、ニュースを生中継中の女性キャスターを武力で威嚇し無理に読みあげさせた声明文には、中心人物のイムザ(署名)はなかったという。  ところが、最初このクーデターは、TSK(トルコ国軍)の最高司令官である「参謀総長」が中心となって起こした事件、と思われていたが、その最高司令官は、中心人物になって政権を掌握するどころか、事前に反乱軍の人質となって監禁されていたらしい。  先日大きなテロ事件に遭遇したばかりのアタテュルク空港には、クーデターで蜂起した軍隊のタンクがあとあと到着し、空港入り口を封鎖、トルコ最大の国際空港は再び騒然たる雰囲気に包まれてしまっていた。  一方で、首都アンカラでは軍の参謀本部前の交差点が封鎖され、夥しい数のパトカー、救急車、軍のタンクなどが集結しているのが報道された。   アンカラの参謀本部の前から異変を報じるリポーター     しかし、その後、エーゲ海沿いのマルマリスと言う保養地で休暇を取っていた大統領は、国営放送局が乗っ取られてしまって使えないとあって、民放各局に連絡を取らせ、スマホを通じて国民に呼びかけた。  「このクーデターは民主主義を冒涜するもの、民主主義を守るために、私は皆さんを広場にご招待します。みんな、家を出て、AKパーティの地区本部や近くの広場に集まって下さい」と呼びかけた。  そして、これに国会の3つの大きな野党の党首達もこのクーデターには反発を示したので、与野党の別なく、民放局から民主主義を守ろう、という動きがはっきりと国民に示されたのだった。この結果、アンカラでもイスタンブールでも、その他の都市でも国旗を振りながら集まってくる大群衆で、大通りや広場が埋めつくされた。  ところが、この間にも、イスタンブールではタキシム広場や、そこからほど近い軍事博物館のあるハルビエやイスタンブール県庁のあるジャーロール、そして県警本部のあるワタン・ジャッデシなどで銃撃戦が繰り広げられ、にわか反乱軍の発砲で、ポリスや市民が多数犠牲となって行った。  タキシム広場とイスティクラール通りに近いわが家には、そちら方面から撃ち合いの音も聞こえて来る、ヘリコプターが旋回する、パトカーや救急車のサイレンが絶え間なく聞こえて来る、などなど、テレビ画面と相まって、それはもう臨場感たっぷり、まるで映画を見ているような感じなのだった。  その間に私にはたくさんの電話がかかってきた。夜が明けてニュースを見た日本の友人達からもメールや、Facebookなどで見舞いの言葉や状況の問い合わせなどが来るので、返事を書いたりしていたが、ソーシャルメディアはそのうちに一時的に書き込めなくなってしまった。  私は結局横になる時間もなく、夜中の2時を過ぎた頃、アンカラの大国民議会の建物、つまり国会議事堂に戦闘機が飛来、3度も爆弾攻撃、ビルの一部がめちゃめちゃに破損し、大きな損害が出たことを知った。  明りを消した戦闘機F-16が低空飛行をしながら、アンカラの夜のシルエットラインの向こうに見え隠れしていたかと思うと、戦闘機は国会議事堂に爆撃をしたため、ものすごい音と黒煙と火炎が立ち上り、花火のように明るく夜空を染めた。   3回爆撃された国会議事堂の前面が木っ端微塵にされた瞬間。ここでは襲撃を 事前に察知、要人は地下の防空壕に避難していたため、無事だったとのことです。  アンカラとイスタンブールがこんなことになっていても、さすが貫録、保養地マルマリスにいるタイイップ・エルドアン大統領は少しも慌てず、議事堂爆撃の少し後、ヘリコプターで現地を出発、場所は明らかにされていないが、途中近くの空港で大統領専用機に乗り換え、混乱を収拾するためイスタンブールに向かったとのことだ。  3時頃、ビナリ・ユルドゥルム首相が反乱軍を制圧したこと、最終的な犠牲者の数、負傷者の数、そして検挙者の数などを公表した。それによると死者161人、これはポリスと市民が多数を占めている。負傷者1440人、反乱を企てた軍関係の検挙者は将校から兵卒まで2839人とのことだった。   ビナリ・ユルドゥルム首相が、少し前に救出された参謀総長、フルシ・アカル将軍と共に 記者団の前に現れ、既に反乱軍の鎮圧に成功した旨をアンカラから声明しました。  しかしながらこの、ユルドゥルム首相は、5月下旬に首相職を以前のアフメット・ダヴットオール氏より引き継いだばかり。6月7日に、イスタンブールのグランド・バザールの近くでテロ発生、6月28日にはアタテュルク空港で大規模テロ発生、そして今度の7月15日クーデター。就任2ヶ月半にして大事件を3連発で浴びている。職務とは言え気の毒なことだ。  この記者会見の頃から、アンカラは言うに及ばず、イスタンブールにも正規軍の戦闘機が偵察に飛来し、超低空飛行でタキシム広場上空などを何度も通過するので、それは恐ろしい地獄の響きのように窓ガラスを震わし、猫ですらサロンの中ほどでうずくまったまま動かない。  私も4時少し前にベッドに横たわったが、戦闘機のすさまじい通過音はさすがに恐ろしく、寝室の窓ガラスもきっちり閉めて耳を押さえながら不安な眠りに就いた。  朝、目覚めたのは8時頃だった。すぐにサロンに行ってテレビをつけて見ると、明け方4時過ぎにアタテュルク空港に到着したエルドアン大統領は、出迎えた数万の国民(ほとんどがAKパーティ支持者)が、手に手に打ち振る、真新しいトルコ国旗とパッと灯った電球の党マークの旗に迎えられ、勝利の第一声を上げたのだった。  どこにそんなに大量の国旗が用意してあったのか分からないが、今回はクーデター計画もいたずらに犠牲者を出したのみで、目的も首謀者も分からないまま、前夜蜂起してわずか数時間後に、子供の手を捻るように制圧されてしまったのである。不可解なクーデター未遂事件だった。  可哀想なのは反乱に駆り出された若い兵卒達で、15日○○時から軍事訓練のために集合せよ、という命令で駆り出されただけで、よもや政府と国民に銃を向けさせられるとはつゆほども知らなかったそうである。         madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」 海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店   アントニーナ・アウグスタ    

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