madamkaseのトルコ行進曲

2017/01/05(木)13:29

マヤちゃんを家に連れ帰る

チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし(796)

【1月3日・火曜日】  今朝、2009年9月に投身自殺を図ったコマちゃんを失った時のブログを読んだらもう駄目、午後の面会に行ったら、なんとしても自宅にマヤちゃんを連れて帰ろうと心に決めた。  今日は今までより小一時間遅く家を出て、5時少し過ぎにオズギュル先生のクリニックに到着、マヤちゃんは保育箱の中に寝かされて、その目はぼんやりと虚空を見つめていた。よくよく状態が悪いとのことだ。  オズギュル先生に連れて帰らせてほしい、とすぐに頼んでみたのだが、先生の答えはノーだった。 「加瀬ハヌム、家で容体が急変したら対応出来ませんよ、打つ手がなくてみすみす死なせることになります」 「それでいいんです、どの道助からないなら、マヤを注射で一日二日延命するより、死んでもいいから私が抱いていてやりたいんです、お願いします、家にこの子を待っている猫達の声を聞かせてやりたいです、どうか連れて行かせてください」  私の泣きながらの頼みでオズギュル先生もちょっと眼がしらを潤ませ、マヤを担当している助手のジュムフルさんに何か指示を与えていたが、やがて言った。 「分かりました、加瀬ハヌム。今それでは今日のうちにやる手当てをすべて済ませます。その後で連れて帰って下さい」  かくて私はジハンギル・タクシーに電話してアクメルケズの近辺にいる車を探して貰いほどなく帰途に就いた。もし、明日まで命に別条がなかったら、治療の続きをするので連れていらっしゃい、と先生は言った。  途中、タクシーにペットショップに立ち寄って貰い、家猫達の餌の缶詰を20個ほど買い、あとで届けて貰うように頼み、そのまま家に戻るとほかの猫達は興奮してマヤの入ったボックスを取り囲んだ。  寝室を調えてマヤを迎え入れ、タンブルを入れてみたら、マヤはシャーッと声を立ててそばに近寄せなかった。ショックを受けたのかタンブルは寝室から逃げ去った。やはり女の子、弱り果てた瀕死の自分を恋人に見られたくなかったのだろうか。  長い一夜になると覚悟し、マヤの介護の支度をして、ペースト状の肉の缶詰を指先につけて、口の中に入れてやったが、仕方なく飲みこんだ様子だった。食紅用の小さなスポイトがあるのでそれで水も飲ませた。  缶詰が届いたのでオズギュル先生の指示の通りに、家の猫達にも血液中の雑菌を殺す粉薬を混ぜて食べさせた。  新年なのでたくさんのメールやメッセージが届いているのに、返事を書くのがのろのろしてしまい、処理しきれなかった。自分の夕飯には餅を焼いて朝作った澄まし汁を手直しして雑煮にして食べた。それより私は今日のことをブログに残しておこうと、返事書きは後回しにして、ブログの下書きのページを開いた。  マヤには去年美由紀さんに貰った日本製の優れたプラスチック湯たんぽを抱かせてやった。温かく、快適なので今まで動かなかったマヤちゃんがモソモソと動き、湯たんぽから滑り落ちていることもあるので、ブログを書いていても目が離せない。   ベッドに寝かせ、布団もかけておいたら、10分後にはこんな恰好をしていました。 かじりついているのは湯たんぽ、布団から這い出したようです。  しかし、私はやはりマヤは明日まで持つまいと判断していた。自分も非常に疲れているのだが、気分はだいぶ落ち着いていた。マヤが家にいる、抱いて寝られる状態にある、と思うとよくぞ思い切って家に連れ帰った、よかった、よかった、一人ぼっちで獣医の檻の中で死なせたくなかったのだから、と、的確な判断をしたことで自分にも満足出来た。  そして時刻は11時を過ぎたが、同時にマヤの命の灯もあと少ししか残っていない、と思い、少しでも抱いていてやろう、とマヤを自分の胸と腕の下に寝かせ、横になったのである。       madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房) 「チュクルジュマ猫会」 海泡石のパイプやアクセサリーと、「宮古島月桃」の買える店   アントニーナ・アウグスタ    

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