夢みるきのこ

2005/08/15(月)22:14

敗戦日ラジオの流す蝉の声 マダラーノフ

 タイトルはMadaranovの若書きの俳句作品だが、敗戦後60年の歳月が流れた。戦争を知らない世代の私は、それでも戦後焼け跡派と呼ばれる通り、遊び場は防空壕あとだったし、白衣の傷痍軍人が街角でアコーディオンを奏で喜捨を求めていた。戦争の痕跡に囲まれて育ったといっても過言ではない。戦争の語り部もわんさか生きていたし、敗色いちじるしい大戦末期に少年時代を送った身近な先輩たちも銃後の生活の厳しさ、楽しさを面白おかしく語ってくれたものだ。しかし、60年は人間の一生の時間を考えるととてつもなく長い。風化して当然の時間の嵩である。戦争を引きずって戦後を生きた親父も3年前に鬼籍に入った。きわめて特殊な軍人として生きた親父の一生を冊子にまとめて追悼集を編んだとき「父の戦後ついに来たらず今日の月」と悼句を親父の霊前に捧げた。日本軍に協力して戦って還るべき祖国のない異民族の慰霊碑を建立し、彼らの魂の平安を祈念し続けた父にとって戦後はついに来なかったが、親父よ精一杯頑張ったなという思いをおりからの中秋の名月を仰ぎながら詠んだもので偽らざる私の気持だった。さて、戦後60年を閲(けみ)した日本はすべての点で大きな曲がり角に差し掛かっているが、特に解散総選挙を迎えた政治の世界は焦点が大きくずれたまま離合集散の茶番を繰り返すのみで「良い加減にせえよ」という怒りに似た気持になってしまう。  今朝は降雨直前の博物館の広場で点々と頭をもたげるキコガサタケに出会った。丈の伸びた草地では草よりもぬきんでて傘を開くのですんなりするのだが、こちらは背伸びしない分ずんぐりむっくりだ。そんなひょうきんなかれらになだめられすこしさわやかになって出勤した。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る