2011/10/28(金)23:34
石山の石より白し秋の風 芭蕉
石山の石より白し秋の風 芭蕉
木枯らしの夕べ、心を通わせあうことのできる数少ない友人の一人から思いもかけない旅のメールが届いた。さざなみの滋賀の都、石山寺に秋を求めてさすらっているとのこと。私の脳裏にはたちまち芭蕉の掲句が浮かび、秋色の世界が広がった。
後世の批評家はこの句に石山寺を結びつけたが、この句は奥の細道の旅の途中のもので、直接石山寺とは関係はない。「山中の温泉(いでゆ)に行くほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山の法皇、三十三所の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷(なた)と名付け給ふとや。那智、谷組の二字を分かち侍りしとぞ。奇石さまざまに、古松植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也」とある。この寺には石英租面岩質の凝灰岩からなる灰白色の岩山があり、そこでの嘱目(しょくもく)の吟である。
この前日、江戸を出て以来ずっと同行してきた曾良が腹をこわし、宿で別れて金沢の門人北枝が慕い来たったとあるので曾良との別離の情も滲ませているようだ。
しかし、秋風を白いと把握した芭蕉の特異な感性は独特で、ほかにも真冬の熱田での作「海暮れて鴨の声ほのかに白し」もみられ、僕の好むところである。
石山寺は20年以上も前に滋賀大で教鞭をとられていた日本における菌蕈学の巨星、故・本郷次雄先生や横山和正先生を訪ねた折にしばし立ち寄ったところで趣きのある古刹である。
こちらの石山寺の奥はきのこも多いところでさすらいの山路、きのこたちとの出会いもさぞかしであったろう。また第二弾が届くのをたのしみにしている。
写真は石山ではなく戸隠の朝の山道で出会ったきのこの六地蔵たち。