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2012年09月18日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

         良弁像 (8)0240.jpg

                       良弁像(秘仏)

 生まれも出自も不詳で、いつの頃かふらっと若草山のふもとに山房を立て、修行をはじめ、法華堂衆を率い、春日奥山から笠置山までの山域を烈しく往来し奈良時代の修験の中心人物として活躍、中国僧・道璿(どうせん)が南都六宗の中ではもっとも遅く天平8(736)年に持ち来たったほやほやの教義の華厳経に着目、律令国家の完成期に即位した聖武天皇の仏法による鎮護国家建設の意向を機敏に察知して、華厳藏世界の実現こそが天下太平の礎と説き、恭仁京、紫香楽宮、難波宮造都からビルシャナ仏(現東大寺大仏)造立までの一大国家プロジェクトをさらりとやってのけ、忽然と歴史の表面から姿を消した謎の人物だ。

 その手腕のあまりの見事さに後世の亜流たちは、良弁とのつながりを強調するためのさまざまな伝説を作り自身とその所属するグループの権威化に利用したものと思われる。

 その結果、良弁は相模国の漆部氏(ぬりべし)出身だ、近江国の志賀出身だ、はたまた坂東生まれだ、いや二月堂の若狭井とのからみで若狭国小浜の出身だ、とかいった諸説が生まれた。赤ん坊のとき鷲にさらわれた伝説も諸説あり、そのひとつが二月堂の前にそびえる「良弁杉」だ。伊勢湾台風のときなぎたおされ、枯死寸前に接ぎ木して再生、現在の杉は3世だという。

 良弁杉 (4)0244.jpg 閼伽井堂0264.jpg

         良弁杉                閼伽井堂(若狭井)           

 しかし、良弁の構想力はとてつもなく大きく、しかもその夢を実現させるための現実的な行動力にはすさまじいものがあり、僕はこの大きく時代を逸脱した無名の巨人にとても興味をそそられている。きのこの声に耳傾けながら修験世界の無名のほかい人たちのアートというべき石の宗教の痕跡をたずねてきて、聖徳太子、空海、最澄、行基、空也、一遍、良源、親鸞、法然などと出会い明恵に至り、遂に良弁に立ち戻ってきた僕にとっては、この塵にひとしい人の世のいのちを塵のままに束の間輝かせた人物として、良弁にこそ21世紀という未曽有の乱世に生きる人たちにとっての「希望の原理」となる鍵がひそんでいると考えている。

 平成になってからの20数年の政治・経済の流れを見ていると、おそらく日本はひとたび沈没するのは必至であろう。しかも人心、とりわけ希望を持てない青年、壮年層のそれは荒みきっている。唯一の救いは国は破れても山河はあるということだけ。それも原発事故のような人災のために砂漠化しつつある。おそらくそんなわが国の再生の道のりは遠く言語を絶する険しさがあるだろうが、そんな時代の烈しい陶汰圧にもめげず生き延びたわが国の最底辺の人たちへ希望の灯をしめすためにも良弁の歩んだ道のリを深読みしていきたい。中西進はこの時代、聖武帝を無名の存在のままにブレーンとして支えた行基、良弁のことを「力の行基、知の良弁」と語っている。 

 東大寺大仏殿0142.jpg 東大寺大仏殿 (17)0128.jpg

  華厳藏世界のテーマパーク東大寺          同ビルシャナ仏

 この9月17日の敬老の日の祝日、いよいよ良弁の原風景である三月堂(法華堂)、二月堂、四月堂、若草山、春日山麓、そして聖武天皇陵とまわり、手向山八幡から東大寺界隈をひたすら歩いてきた。その報告もまたいずれここで追々お話ししたい。

 

 






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最終更新日  2012年09月18日 23時24分00秒
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