2018/04/15(日)12:32
苔寺界隈の旅-2 桂の寺社めぐり
この界隈は、古代最大の興産渡来民・葛野秦氏(かどの・はたし)の本拠地であった。この地を見下ろす愛宕山は秦氏の山で、開山の祖が泰澄という伝承は白山信仰の祖と秦氏とのつながりを暗示している。
フリマでにぎわう松尾大社は、秦氏の氏神さんだが、裏山に磐座があり、比叡山・愛宕山と並び、平安京にとっては重要なトポスである。
もっとも現在ではお酒の神様として崇敬をあつめている。
そこから南へやや下ると月読み神社がある。日本神話の中では、登場するにはするのだが、あっという間に抹殺されてしまい影の薄い神である。世界神話の中で太陽と月の神は対の神格として機能するのに、わが国ではさすらい神のアマテラス神を皇祖神とする必要に迫られ、消し去ったものと思われる。しかし、のちの御食津神や豊受神の原型となる重要な神格である。 アマテラスの総本山・伊勢神宮には内宮より神格の高い外宮にトヨウケがまつられていることとも深い関連がありそうである。
葛野秦氏はこの地方の治水事業で名を挙げた氏族で、秦河勝とは河の神の猛威をも抑えた(=河に勝つ)ことから、河勝は個人名ではなく集団の総称と思うけとめたほうがよいように思われる。したがって、ここには秦氏がパトロネージュした聖徳太子も祭られている。
月読み神社の陰陽石
この社は、現在子授けの神として崇敬をあつめており、会員の橘くんはまもなく2度目の臨月を迎える奥様のために子授け石に祈念をこめていた。不敵な面構えの彼が神妙に掌を合わせる姿はほほえましいものがありました。
この界隈は寺社の密集地帯で、やや南には、鈴虫寺で有名な華厳寺がある。寺側は、観光ではなく30分の法話が主だからということで、この日は30分待ちの参詣客が並んでいました。もしそこまで言うなら拝観料は無料にしてたとえ観光客であっても、せっかく仏縁を求めてやってきた衆生を待たせずに苑内散策に充てればよいのにと思ったことです。ほとけとは「法を説く」ではなく、有縁となった者たちがそこに足を運ぶだけでも心が「ほどける」ことにこそ意味があります。魂の救済が本意の仏教寺院には猛省を促したいところです。
通称苔寺の西芳寺は、さらに厳しく入苑は最低3月前にはがきで応募し、許可をいただかねばなりません。しかもは拝観料3000円。人に頼まれても私は決して行きたくない寺ですね。
西芳寺川沿いにあるバスターミナルの脇の竹林の道をさらに南に下れば、竹林の見事な地蔵院があり、そのさらに南には浄住寺があります。
真言律宗から黄檗宗の寺となった浄住寺は、京都の寺ではたぐいまれな開放的な寺院で、拝観料など一切取らず、苑内散策も自由です。そしてこの仏教の始祖のお釈迦さまの生誕を祝う灌仏会のこの日(4月8日)は、本堂の導入口には「天上天下唯我独尊」の釈迦像がまつられ、参詣者は自由に甘茶をそそぐことができました。
伽藍を経営する寺院の窮状は理解できますが、しかし、信仰の対象である寺院は、経営者以前に救済者でなければならないと思います。廃仏棄釈の痛恨の教訓が全く活かされていない。美術品の仏像などは美術館へ収納して、レプリカをならべてでも拝観料を撤廃すべきでしょう。建物や仏像が人を救うのではなく、信仰の先達とふれあい魂の対話をもっぱらとする人と交わる場をつくることこそが寺院の務めなのにな、といつものことながら思ったことです。