2022/10/04(火)18:24
北淡・垣内遺跡の育波芸術祭
2009年1月、北淡の播磨灘を望む北淡西部の育波地区の高地で23棟の竪穴式集落跡が発見された。そのうちの12棟から板状鉄斧や鏃などの100点を越える鉄器とそれを加工する石製の道具などで発見され、ここが弥生後期の鍛冶工房集落であったことが判明した。さらに近年ここから6キロほど離れた高地で舟木遺跡が発見され、そちらでは生活用具の鉄器工房であったらしいことが判明しつつある。
スーパーきのこ時代を迎えたムックきのこクラブでは、神武東征が安曇氏らの海洋民を駆使し、阿波の忌部勢力とともに紀の川を遡り宇陀から大和入りしたという仮説に基づき、その痕跡を求める旅をつづけてきたが、うってつけの鉄のアート・イベントがタンバ・タンボフ協会のタンバ・ジュンさんが主導する育波芸術祭として開催されるというので10月2日駆けつけてきた。
海岸部からゆるやかに伸びあがる丘陵地のかなりな上部の高地にその工房跡はあった。正式には五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)という。私は舌を噛みそうなので垣内(かいと)遺跡と呼ばせていただいている。
ざっと復元住居を駆け足で巡り午前10時からのシンポジウムに臨んだ。
弥生時代後期は砂鉄を溶かす高熱を要する製鉄技術はまだ確立されておらず、インゴッドの形で入手したものを加工する段階ではあったが、この遺跡の鉄加工に長じたイザナギ集団が、なんらかの必要に迫られて大和へと向かったと思われる。それが8世紀の古事記・日本書紀の時代に神武東征として語られたのだと私は考えている。
この日のシンポジウムでは、なんと90年代はじめに神戸のジャズ喫茶・木馬で出会って以来の反骨の芸術家・榎忠さんもお元気そのもので参加しておられて旧交を温めることができた。
シンポジウムでは、えのちゅうさん(左)が鉄と地球と芸術について口切りをしたのち、淡路教育委員会の埋没文化財に詳しい伊藤宏幸さん(中)と司会進行役のジュン・タンバさん(右)でトーク・セッションをする形で進行した。
鉄は文明の機動力である。私はこの三者のセッションに耳傾けながらこの北淡の垣内遺跡に発する鉄器で武装したイザナギ集団こそが大和初期王権を確立したとの確信を深めた。もちろんそれが8世紀に編まれた国史の神武か崇神か他のいずれかの天皇とされるかは別の問題であるが、月のしずく43号(2023年新年号)であらためて述べたいと考えている。