第三話







3








    彼女の名はアイカ・ホリウチ(堀内 秋鹿)といった。
    彼女はとても長く美しい黒髪の日本人女性で体つきは細く色白で、とても綺麗な子だ。
    彼女の周りの空気がとても穏やかな物に感じる。自分が安らげる、そういう気分にさせる子だ。
    こういう子が大和撫子と言うのだろうと私は彼女を見てそう思った。
    彼女の身長は日本人の中でも低いらしい。
    その所為か、それとも美しいとも可愛いともとれる彼女のまだ幼い顔の所為なのか、
    私は彼女をまだ12歳位だと勘違いしていた。
    だから私が彼女の本当の歳が、22歳の成人女性だと知った時はとても驚いた事を覚えている。

    その時の彼女の笑った顔もね。



    トン、トン…と、ドアのノックする音がして
    秋鹿が「どうぞ」と、答えると、ジョージが何やら紙を片手に部屋に入ってきた。

   「アイカに良い話を持ってきたよ」

   「なぁに?」と、答える秋鹿に、ジョージは手に持っていた用紙を手渡した。
    それは学校に関する資料だった。

   「君も周りの状況が忙しくて
    色々気持ちの整理が付いていなかっただろうけど
    そろそろ学校に参加するのも良い気晴らしになると思うよ」

   「????」

   「その中で気に入った学校を選んで契約するといい。
    この屋敷も古いと言っても映像を繋ぐ事ぐらいはちゃんと出来る。
    私もそれで俳優の仕事をしているからね。
    だからそれに関しては、かなり良いバーチャルビジョンを使っている。
    通常よりも脳が疲れないはずだから安心していい」

   「????」

   「それとも昔ながらの外に出歩く方がいいだろうか? 運動も兼ねて。
    日本ではあまりバーチャルビジョンは使ってないらしいからね。ふむ、その方がいいかもしれないな」

    秋鹿は暫く考え込むかの様にうつむいた。
    そして考え事がまとまったらしく、ちょっと可笑しい様なその反面、困った様な表情を見せながら答えた。

   「そうね、日本ではBV(バーチャルビジョンの略)を使っている学校は少なかったわ。
    俳優は勿論、BVを使っていたけど。あれは何度か体験したけれど、とても不思議な感覚がした。
    だって脳に直接情報を送るでしょう。実際椅子に座り、眠っている状態だけれど、
    それを利用して脳の中で実体化させ作業を行う。
    一見、夢を見ているみたいだけどそうじゃない。
    プログラムが睡眠を誘い、脳の情報を誘導し
    そのデータを色々な所に送信して、脳中でビジョンを創る。
    映画を撮るには最適なコンピュータね。
    だから学校でも画面さえあればBVを持っている子は参加できる。
    植物人間になった人でも画面で話をする事が出来る。脳は働いているから起きているのと変わらないし、
    だけど運動能力が低下するからあまり使いすぎるのも良くないのよね。
    だから日本では、特殊な職業の人しか使用していないの。学校でもね。
    …だけど、私には学校もBVも必要無いと思うわ」

    めずらしく沢山喋る秋鹿を見て、驚いていたジョージを見ながら秋鹿は優しく微笑む。
    この屋敷に来てからの秋鹿は、人形の様に黙ったままの状態の方が多い。
    喋るのはジョージが話し掛けた時か
    叔母のメアリーが話した時だけで、それでもこんなに喋る事は殆どなかった。
    よっぽど学校の話が嬉しかったのか、と思っていた処に秋鹿の「必要無い」の言葉である。
    ジョージは慌てて聞き直した。

   「必要無い…ってどうしてだい?」

   「だって私もう22歳よ。この資料にある学校はもう必要無いもの」

    クスクスと笑う秋鹿。
    その言葉を聞いたジョージは本当に、本当に今までに無い位、驚いた表情を見せた。

   「日本人女性は外国の人に、昔からよく若く見られがちだけど、今も変わっていないのね」

   「あ、いや……その、すまない。てっきり、その……12歳位だと…」

    ジョージの勘違いが余程面白かったのか、まだクスクスと秋鹿は笑っている。
    こんなに笑う彼女を見るのは初めての様な気がする。笑う時、口元に手を運ぶのは彼女の癖らしい。
    ふとその時、何かが彼女の手元でキラリと光った。

   「…その指輪は?」

    笑っていた筈の彼女の表情が急に曇った。
    そして、大切そうに右手を指輪がはめられた左手に添えた。

   「――― この指輪だけは取られたくなかったの。
    だから全てを奪われる前に、口の中に入れて隠していたのよ……」

   「!!」

   「……………」

    あってはならない事実の可能性が、ジョージの頭の中に一つの言葉となって乱反射する。

   「アイカ、君はもしかして、記憶が……」

    知らず内に唇が乾き、言葉は途切れ途切れに発せられていた。

   「――― 記憶は残っているわ」

    冷たい汗が背中を伝う。喉が擦れる感覚がジョージを襲った。

   「記憶は消される、はずでは……」

   「…… 正確には、記憶を摩り替えるの」

   「!!」

    組織の情報をスラリと、表情も変えずに答える秋鹿に、ジョージは戸惑いながらも言葉を出そうとした。
    それを遮るかの様に秋鹿がジョージの顔を見上げながら、言葉を発した。

   「BUMって知ってる?」

   「――― BUM………?」

    ジョージの頭の中で何かが引っ掛っている。
    何処かで以前、聞いた事がある。
    それは何時だったのか、どういう時だったのか。
    それさえも覚えていない程、自分にとっては些細な事だったのだろうか…。
    ただ沈黙がひたすら長くて、とても重い時間に感じる。
    その間、
    ジョージは秋鹿から目が反らせないでいた。
    秋鹿の目はあの闇オークションの時に感じた、強い瞳をしていた。
    眩暈ともとれる感覚に身を溺れさせそうになる錯覚。
    ジョージと秋鹿は暫く動かずに立ち尽くしていた。

   「バック(B)アップ(U)メモリー(M)。
    人間の記憶をバックアップ出来る、バイオテクノロジーとコンピュータが生み出した薬。
    私はその研究に携っていたの。大学の中で選ばれた者達が極秘で……。
    この薬指の指輪をくれた彼もそのスタッフだったわ。彼は医者で精神学が専門だったから」

   「……恋人だったのか?」

   「……ええ。婚約者だった」

    もう違うけど……と、少し淋しそうに彼女は答えた。
    ジョージはただその姿を見ている事しか出来なかった。
    触れる事自体が罪の様な気がして、その場から動けずにいた。

   「この薬の特徴は前もって飲んでいても、記憶が無くなってから飲んでも人体に影響が無い事。
    そして記憶を無くしている間に、
    自分がどんな事をしていたか、どんな状況だったかも忘れずに覚えている事が出来るの。
    だから自分が攫われて、どんな記憶を埋め込まれたかのも覚えているし、あの夜の事も覚えているわ」

   「……………」

   「あの夜、あの会場で沢山の人達の中から、私の運命を決める人が居るのだと、そう思っていた。
    体が重くて、意識が朦朧とするのを必死で耐えていたのを覚えている。
    組織の中でもおしゃべりな人は居るもので、
    競売の世界の中でも特に酷いと言われている人物の話をしていたわ。
    その男の所為でどれだけの女性が、ゴミの様に捨てられたか。その男の色々な噂話をしていたの。
    でもまさか、その噂話の男が私に目を付けるとは思ってもみなかった。
    その男に引き取られていたら、今私はこうやって喋る事さえも出来なかったのかもしれない。
    あの闇オークションで
    彼の獲物を横取りする事はとても危険だと聞いていたわ。…でも貴方は助けてくれたのね。
    ……………ありがとう」

   「!!………っ」

    その場を動けずに、秋鹿の告白をただ黙って聴いていたジョージの肩が、ピクリと揺れる。
    その瞳に陰りが落ち、苦しそうな面持ちで口を開いた。

   「ありがとう……なんて言われる程私は、……そんな資格は無い」

   「…………」

    一つ、一つの言葉が重く、苦しく罪悪感に襲われる。

   「結局、私もアイツ等も変わらない。
    君を買ったという事実は消えない。
    だからそんな事は言わないでくれ。私は……君に御礼を言われる程、立派な人間ではない」

   「…………」

    吐き出される言葉と重たい沈黙。時計の音が部屋の中を侵食していく。二人だけを残して…。
    カチコチ、カチコチ………、と。

   「―――…一つ聞いてもいい?」

   「………?」

   「どうして私を買う気になったの……?」

   「――― 本当は……、君に出会ったのは、あの夜が初めてじゃないんだ」

   「――― 初めて、じゃない…って……」

   「一度、日本で見た事がある。全くの偶然だがね……。
    あの時、私は映画関係の仕事で日本に来ていた。
    ホテルから出る時に多くの人達に囲まれ、とても騒がしい状態になってしまっていた。
    その人込みからふと目を逸らした時、君が居たんだ。
    こんな騒ぎなんて全く眼中に無い、そんな感じでその場を横切っていったんだ。
    その時の君の姿が妙に印象的で目に焼き付いてしまった。……多分、一目惚れだったんだろうな。
    だからあのオークションで君を見た時は、とてもショックだったよ」

   「―――… 私も貴方の事は知っていたわ。Mr.ジョージ=スペンサー」

   「アイカ…?」

   「あの薬、特許出願中だったけど、貴方の会社にも許可を申請する為に
    薬のサンプルとスッタフの資料等を送ってあったのを覚えていない?
    あの手の薬等は、貴方の会社の許可が無いと商品に出来ないものね」

    ジョージの目に微かに光が通った。先程の言葉が記憶の底に引っかかった理由に、その眼が瞠目する。

   「……貴方は記憶の何処かで私を覚えていたのよ。スッタフの資料の中での私をね」

   「アイカ?……何が言いたいんだ」

    本当は彼女が何を言いたいかなど、当に分かってはいるが、認めたくない気持ちが口をついた。

   「何処かで会った感覚がした女を見て、一目惚れと勘違いしただけ」

   「違う。……勘違いなんかじゃない」

   「―――…いいえ。貴方は哀れな女を放って置けなかっただけ。それは、けして恋愛感情じゃないわ」

   「…違う―――」

    苦しさに胸が痛む。
    どんなに言葉を並べても、どんなに心を痛めても、彼女には解ってはもらう事は出来ないだろう。
    時計の音が心に響く。時間に侵食された部屋に彼女の心は居ない。自分の罪悪と醜い感情。

    重い心とは裏腹に、外は彼女が来た日の様に、とても良く晴れていた。
















―― 「眠れる森」 第三話/完 ――




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