2023/03/26(日)14:21
植物状態の父の目に涙
3月15日、対面面会4回目。
今回は、はじめに肩をトントンと叩き、目を覚ましてもらった(?)ので、私の話しかけなどに反応が見られた。
前回、ほとんど何の反応もなくエネルギーの低下を感じて悲しかったので、少しほっとする。
もともと聴覚障害者の父、補聴器をつけてもらったその耳元に、
お父さん!きたよ!○だよ(私の名前)!
そして、いくつか近況を叫ぶ。
すると、また父の左目に涙が溜まり…
目が赤くなっている。
お父さん、わかる? わかってるんだよね⁉︎
叫ぶと、
左目の下瞼が、ピクピクッ、ピクピクッと動き、眼球が動いた…気がした。(眼球は動いた瞬間を見たのではなく、あれ、さっきと位置が変わった⁉︎くらいで、正確でない…希望的事実認識かも…)
低酸素脳症、蘇生後脳症からの、いわゆる植物状態、遷延性意識障害になって、なんと一年。
窒息さえしなければ、もっと防御策を早くとっていれば、きっと父はいまも、私たちと自分の諸々について話しながら、生きていたのだろう。パーキンソン病だから各機能は低下していたけれど、ギリギリまで、食べたいものを心ゆくまで食べられただろう。(急に嚥下が悪くなり、本人も食べられなくなるのを感じていたようで、急に、あれ食べたい、などと言うようになっていた)
それにしても、いまの病院に転院時(2022年6月)の検査でも、「脳波ゼロ」と言われたが、
脳波ゼロの父の目の、涙。
話しかけると、とたんに涙が溜まり、
足が動き、舌が、口元が、動く。
話しかけると、なのだ。
これはいったい、
いや、やはり、
父の脳は生きている。聞こえている。わかっている。
そう思わざるを得ない。
単に希望的観測かもしれない。
看護師さんは「反射ですね…」と肯定しない。
主治医は、「医学の立場の自分たちが言うことは、できないけれど、ご家族からそういう話は聞きます」と、否定しないでいてくださる。
本人がわかっているとして、それが何なのか? 意識回復しないのであれば、それはいったい何なのか?
突き詰めると苦しくなるけれど。
いまはただ、父の反応があることが嬉しい。
写真は、久しぶりに訪れた、庭園にて。
一眼カメラでの撮影は、まだ自分で解禁していない。(父の介護中、自分の元気を保つと称して、一眼持ってあちこち行っていて、もっと父のための時間を持てばよかったという後悔)