米寿別れ
去年の末になるが日光市に住む叔母が亡くなった。母の姉で享年88歳、米寿だった。元気な優しい人で100歳ぐらいまで生きるのではと勝手に思っていた。12月30日、従兄から電話があり、亡くなったと告げられた。死因は転んで頭を打ち、頭蓋骨陥没によるくも膜下出血だった。叔母はその日、従兄と一緒に昼食をとり、その後近所の知り合いの家に遊びに行った帰り、家の前の石段で躓いたという。従兄の話によると。家の中に叔母が「鼻血出た」と言って入ってきた。庭の水道で鼻血を洗ったらしく、顔が水で濡れていた。顔に傷があったが気にするでもなく、絆創膏を貼って十数分は何もなかったかのようにしていたという。暫くして気分が悪いと言い、横になった。そしてそのまま意識が無くなり、救急車で搬送したが、車中で死亡したという。病気ではなく事故死ということになるのだろうか。そのときは何ともやりきれない気持ちに包まれた。優しい小柄な叔母が、ころんと突然消えてしまったような孤独感と、何でこんなことでという理不尽さが混ざったような気持ちだ。年が明けて1月3日と4日に通夜、告別式があった。叔母との最後の別れ、スポーツマンで男らしい従兄は泣いていた。従兄は母と子二人で暮らしていた。私は去年の秋、鬼怒川と日光に一泊二日の短期旅行に行った。そのとき叔母の家に寄るべきだった。今となっては生きている叔母に会える最後の機会だった。後悔している。最後に叔母が家から出てきて道で迎えてくれた光景が思い出される。写真:戦闘終了後、放置されたティーガーの88ミリ砲に跨り遊ぶ子供。