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テーマ:「愛」・「命」(2758)
カテゴリ:小説
魔との戦いにあたって
西洋では LOVEを武器とするであろう 中国語では「愛」 火影はピンと来ない。 なぜならキリスト教の聖書に影響されすぎていると考えるからだ。 神は愛を持っているとは限らない。 神の愛は万能ではない。 良い神ばかりではなく。 12災厄神のように悪い神も存在すると考えるからだ。 火影の高校生時代。 「神は存在するか?」 という命題を研究したことがある。 結果は 「居ない」 という結論に達した。 どうもこれは間違った推論のようだ。 この命題での神はキリスト教などの一神教での絶対唯一神と定義すると この世に不幸がつづくのをみるにつけ 神は居ないとの結論になってしまう。 しかし、 複数の神が存在するとの前提で推論すると 神は居るとの結論になる。 百歩譲って、唯一神が存在したとしても 人間をいじめたり、救ったり かなりきまぐれな性格の神でないかと想像するが。 これも、 神そのものが複数であると、つじつまがあう勘定だ。 火影は 悪さをする12災厄神を提起した。 それに対して、人類に味方する神は存在するか? ということに対し、 結果は 「居ない」 との結論にしたいと思う。 理由は 人間自身が神だと考えるからだ。 人間自身の素晴らしさは、神を超える。 少なくとも 12災厄神に打ち勝つ可能性を秘めている。 聖書における「LOVE」とは少々異なる方法で。。。。 「LOVE」=「愛」? どうもピントこない。 やまと言葉では 「め」でる=いつくしむ=慈しむ 愛・目・芽・女 「あい」 合・会い・逢い・愛・遭い・相・間・遇い・逢・・・ 人と人とにはあいだ=間がある。 それゆえ人間という。 間=あいだ すなわち愛だがある。 離れて、生まれ、育っても、いつか引き寄せ合って 「逢い」 そして 目と目が合い 「愛」が生まれ、 いつくしみあう。 めでたし。目出度し。芽出度し。愛でたし。 なにか 引力みたいなものだな。 斥力もあるな??? このように やまと言葉で考えると すこし、わかるような気がする。 火影は人類の終着地=東端国で育った人間だから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月18日 01時55分10秒
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