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カテゴリ:政治・火影内閣
戦時中、軍部の特攻命令に反対した指揮官美濃部正少佐の記事を読んだ。
http://www.jiji.com/jc/v4?id=fuyou201508a0001 指揮する芙蓉部隊による正攻法の戦術(夜間攻撃)で 特攻部隊よりもはるかに大きな戦果を挙げていたためか 軍法会議にかけられることもなく、特攻命令は一部変更され 指揮する芙蓉部隊は特攻作戦から除外されて 彼の抗命行為は不問に付された。 そして記事の末尾には以下のことが記載されている。 ------------------------------------------------------- 89(平成1)年8月に記した別の手記「特攻の嵐の中で揺らいだ指揮官としての私」では、その計画を「私の限界であった」と告白。 「平成時代の人々の中には、特攻でなくってよかったとか、特攻隊員はかわいそうであったと片付ける人が多い」と指摘した上で、「特攻の是非は単純には決し難い」とも述べている。 「私には特攻攻撃を指揮する自信がなかった」―。 美濃部氏が確信していたのは、「人間がその生命を絶つのは、罪人以外は自らの意思、本人の納得のもとに行われるべきである」ということだけだった。 遺稿の最終章は、戦後の日本人に対する苦言が続く。 「平和、非戦を叫ぶのみで、飽くなき経済繁栄飽食を求め、30億余の貧困飢餓民族への配慮、対策、思いやりに具体策不十分」。 独善的に願望を唱えるだけなら、「撃滅せよ、必勝を期す」という戦時中の軍部の命令と同じだと言い切っている。 アジア諸国との関係も含め、太平洋戦争の敗北を「日本人の独善性の過ち」と捉えた遺稿は、こう結ばれている。「天を恐れ、常に慎ましさを忘れないでほしい」 ------------------------------------------------------- 平和、戦争反対だけを叫ぶ者たちは、独善的に願望を唱えるだけの者たちは、 戦前の軍部の命令、すなわち理屈抜きで特攻しろという命令と同じだと喝破している。 なるほど 先日の国会前でテレビ中継していたデモに参加した人たちは 言葉遊びに熱中しているだけなのかもしれない。 いや もしかして我が国を軍国主義へ導こうとする扇動者なのかな? デモ参加者は 口では平和と言っているようだが、今回の法案をつぶして 他国からの宣戦布告を呼び寄せようとしているように見受けるが 現実に他国から、宣戦布告されたら、彼らはどうするのだろう きっと想定外だといって、言い逃れするのだろう。 かつて、「ベトナムに平和を反戦連合」(べ平連)の戦争反対デモが吹き荒れた結果 何が起こったか。 米軍が撤退しあとの1975年 共産軍によって選挙で選ばれた南ベトナム政府が消滅し、大量のベトナム難民が発生した。 そして おなじく共産軍によってカンボジアで200万人もの虐殺キリングフィールドが発生した。 ベトナム反戦運動により、平和どころか真逆の歴史上まれにみるきわめて悲惨な結果を招いたのである。 今回国会前のデモを企画、支援、賛同した者たちは 60年安保や70年安保、ベ平連とおなじく 国民をミスリードしようとしているようにしか思えない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年09月03日 02時23分10秒
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