末期がんの父、いよいよ緩和病棟に。。
すっかりブログ更新もせずに時が流れました。。私も一気に体調が崩れてしまい、ほぼ病院通いが唯一の仕事の日々となっています。そんな中、夏のお盆の最終日、半年間、必死で頑張ったプリンも虹の橋を渡っていきました。半年、24時間家族で介護したし、最後の その時”は抱いてみおくることができました。そのあと、シャンプーして体中きれいにしてから火葬して骨を拾い、骨壺に尻尾、手や足、爪、頭など大事な骨を拾って持ち帰ってきました。自分もかなりきつい状態だったけど、できることは皆でして、最後に皆で見送ることができたので悔いはあまりありません。何より、かなり苦しんでたから、そのつらさから解放されたのではと少しほっとしました。体の骨が白いところは半分くらいしかなくて、頭蓋骨のほとんど茶色くなってるのをみてびっくりしました。頭の中も出血してて、どんなに苦しかったんだろうと思うとさらに泣けてきました。そんな中、私の治療もあれこれ新しいことにトライしてみたりしていますが、体の痛みだけではなく、現実の話、高額な治療費でお金の苦労も始まっています。注射一本、高額すぎて。。そして、両親の介護もずっと何もできない状態になってしまい、弟たちに任せていましたが、ついに父は今月初めに全身にガンの転移で緩和病棟に入院しました。母も別の病院に入院。。26日の日に、娘たちと一緒に最後の対面をしてきました。うまく歩けないので車いすにのせてもらって。。本当に情けなくて。。私の様子をみて、最後の瞬間を迎えてる父も心配してて「自分がすべて悪いことは持っていくから。。」と言ってくれました。最後の最後に心配をかけながら見舞う気持ちは耐え難いものでした。娘たちも孫として父にお別れをきちんと伝えていました。抱きついてお礼を言ったり、また家族になろうといったり。。そのあと父は、今後の治療はしないようにと言い、栄養の天敵もしません。ということは、水分でどこまで持つか。。痛みどめも24時間タイプにして想像以上に元気に会話もしましたが、たぶんあとは残りわずか。。いざというときには間に合わないと覚悟はしていますので最後の会話でした。今はその時に備えての喪服の準備をしましたが、つらい待ち時間です。。いろいろと父の治療のことや情報もそのうちゆっくりとかけると思います。私の病気の情報も、誰かの役に立つかもしれないし。。とりあえず、落ち着かなくてつらい時間を過ごしていますのでご心配いただくだけの更新となりましたが、プリンのこともかわいがってくださったお友達にお知らせしたくて少しだけ書きました。レスもできないし、いろいろとごめんなさいね。