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他人との距離感だとか、人の好き嫌いは
幼い頃の、自分と両親やだれかとの どこかの時点での何かをきっかけに、 自分の中に成立したのでしょう。 同じように、食べ物の好き嫌いも、 根っこの部分では、 どこかの時点での食べたモノがきっかけで、 嗜好ができたのかもしれません。 その他いろいろ、親、兄弟はもちろん、自分でさえ、 誰にも把握できない自分らしいコトが、 実は私なのではないでしょうか? だから、人は時には、 昔いた場所に戻ってみたい、と思うわけです。 ところで、話を現実に戻しますと、 1970年以前に生まれた人で生家が残っている人は、 実に20%以下というデータがあるそうです。 自分が戻ってみたい、と思ってみても、 実際に時を越えて子ども時代に戻ることができなくても、 それ以前に、戻る場所、家さえないわけです。 このような状況になってしまったのは、 さまざまな要因があるようです。 ・政治的には、都市計画や市街地なんたらによる開発 ・経済的には、土地信仰による建物軽視 ・産業的には、住宅の商品ライフサイクルの短さ それにより、家のスクラップビルドが、 とても早いサイクルで動いているわけです。 では、戻る場所がないこと、 それは何を意味しているのでしょうか? 戻るところがないから、 行くところもない・・・ なんか、とても抽象的な言い方なのに、 妙に説得力があるように感じます。 人にとって、住む場所がない状況はありえないのに、 そこに住む人の問題が軽視されている状況ですね。 ちなみに外国で、生家が残っている人の割合は、 50%とかという数字になる国が結構あるようです。 これを住宅メーカーに求めるコトは、 難しいのでしょうか? 求めるのは100年もつ住宅ではなく、 「いくつになっても戻れる家」。 それがムリだから、 人は、住む場所ではなく、自分自身の中に、 拠り所を自分で作らなければいけないのでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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