テーマ:暮らしを楽しむ(383720)
カテゴリ:ファッション
日本の歴史上、アクセサリーとしての指輪、イヤリング、ネックレスが存在したのは、古代と現代だけなのだそうです。日本の歴史を縄文時代から現代までとすると、なんと、奈良時代から明治維新までの1100年間という、驚くほど長い間、日本人の生活から指輪、首輪、耳輪などのアクセサリーは消えていたのでした。
日本にだって奈良時代以前、縄文時代や古墳時代には耳飾りも、首飾りも、腕飾りも存在していたのに、現代日本人が装着しているアクセサリーは、それら古代日本人のアクセサリーとは直結していませんね。全部、明治以降に欧米から渡来してきたアクセサリーが中心です。 ●古代エジプト クレオパトラは南洋真珠を金台に付けた指輪を身につけ、強大な力の人に会うとその真珠を外して酢に溶かして飲んだそうです。その奇抜な行動に驚き、彼女の術にはまってしまったといわれています。 エジプトの指輪でよくあるデザインは、スカラベという甲虫の形をした宝石が多いですね。 スカラベは聖なる虫として崇められていた。彫刻のしやすい、ひすいや孔雀石が多い。 エンゲージリングは古代ローマ時代から始まったらしい。 ●古代ギリシャ 古代地中海地方では古代から金属工芸がすすんでいて繊細で完成度の高いものが多い。 神話にちなんだデザインや、多くの宝石を組み合わせたようなもので、印象として使われた。 ●古代東アジア 中国では、金や銀台に丸い宝石を付けたものや、文字を刻んだ指輪を左右の同じ指につけるのが流行した。朝鮮半島では、ガラス、クリスタル、ジャスパーなどで、花のデザインが多い。 日本では、弥生時代にガラスやブロンズの指輪があった。 もっと昔、縄文時代に人達は、貝や角、木の実で作っていたのでしょうか。 ●日本のその後 古墳時代に大陸から入ってきた、貴金属を加工したものへと流れて行きます。 その後も素材は違えど、装飾品によって己の権力を誇示する時代が続きますが、ある時期を境に大変革が訪れます。指輪、首輪、耳輪など野蛮だからやめたのでしょうか? いえ、それは聖徳太子が制定したと言われる『冠位十二階制』なのだそうです。 この制度はご存知の通り服装によって、身分の区別をつけている点が特徴です。 つまり、この時期から装飾品は己の身分を誇示する役目にはならなくなってしまうんですね。 この時期から古代ガラスや貴金属製の冠などの豪奢な装飾品は飾りとなってしまいました。 飾りである以上、以前のように権力者が競うような事はなくなり、男女とも衰退していきました。 ●ファッションや権威の象徴としてのアクセサリーの変化 刀や鎧の装飾として工芸が育ってきました。また、宗教的には数珠が装束として現れるぐらいでした。一時期ロザリオの数珠や指輪、ブレスレットとしてのクロス等はキリ シタン大名に広がったがキリシタン禁令で、又、衰退していきました。 しかし日本では根付け、現代風に言えば携帯ストラップのような印籠、 刀装具、タバコ入れ、櫛、髪飾り、かんざし、帯留めなどの飾りや小物の文化として金工の技術は高い水準のものとなりました。 幕末になり、長崎の遊女を筆頭に指輪等が入ってきて、明治になるとアクセサリー文化が日本でもボチボチ花開くようになりました。毛利藩の毛利指輪なるものもあるらしい。アメリカの宝石会社の戦略で、誕生石やダイヤモンドの婚約指輪などが定着し、ブランド化し様々なファッションアクセサリーが出回るようになりました。 ●「アクセサリー大好き日本人。なのになぜ1100年間も指輪やイヤリングをつけなかったのか」の答えは……、「もともとブランド・アクセサリー大好きだったから」になるのかな!! その間の西洋化は進んではいないけれども世界に誇る独自の文化が育ちファッションから見ても指輪やネックレス、イヤリングに変わる物があり、その必要がなかっただけと思うのは間違いでしょうか。・・・ ゲルマニウムネックレスに医療磁気をプラス!今だけ送料無料!特価!メール便出荷代金引換のお支払いはできません。ボディオーラ 健康ネックレス かわいいブレスで静電気を除去!!ゲルマニウムも入った健康アクセ♪静電気除去アクセサリー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/11/19 04:36:15 PM
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